いつもの与太話。幼馴染について。

これについては、読者の目に触れる以前の主人公の姿を知っている、というのが基本的な役割になります。別にエロゲーじゃなくても少女漫画でも少年漫画でも昔からある役柄なんですが。基本的には主人公、幼馴染、主人公の近くに新しく近づいてきた人(主人公が新しく関心を持った人)、の三角関係(恋愛だけじゃなくて)のワンセットで考えます。
たとえば、平凡な生活を送っていた少年がある日スポーツ(超能力でもロックでも何でも可、要するに新しい世界)に出会い、それまでの生活が変化していく。その、従来の生活の側の代表人物として昔馴染みや幼馴染といったキャラクターが用意される。宮本武蔵ならお通さんが幼馴染に当たる。不倫ものなら主人公は平凡な奥さん、そこに現れる魅力的な異邦人、平凡な日常を代表している旦那の三角関係となります。
村落共同体は全員幼馴染ですから、異邦人の側が少数派。都市生活を基準として高校や大学の通学、あるいは就職で人が大きく移動するなら、幼馴染側が少数派となります。
で、主人公が新しく出会った人と昔馴染みのどちらを優先するか、というのはお話次第でしょう。少年成長物であれば世界に向けて羽ばたいていくのを見送る役となるでしょうし、非日常の世界に憧れて冒険に飛び出していって、ちょっと大人の世界を知って故郷に帰ると幼馴染が待ってくれていて「もう二人とも子供じゃないことに気づいた」とかまあ、そういったオチで終わるてのもよく見かけます。
 

で、ノベルエロゲーの幼馴染

さて、そうした幼馴染ですが、ノベルゲームではやや特殊な役割を受け持つことになります。といっても上記の役割の延長上なのですが。例の、主人公の過去が遡行的に形成されるというやつです。
例によって例のごとく、もはや定番と化した観のあるアシュタサポテの記述から。

これが重要なのは、主人公・浩平の幼少期の記憶として提示されるものが実は現在から遡行的に形成されたフィクションであることが、幾つかの場面で指摘されているからだ。繰り返される平穏な日常に浸っているつもりの主体の同一性を揺るがせる記憶の不確実性の指摘、これが第二の亀裂ということになろう。当然それは、記憶を共有している筈の幼なじみ・長森瑞佳との遣り取りにおいて現れる。例えば子供の頃一緒にお風呂に入ったことがあったなと言う浩平に対して、長森がニベもなく知らないと言い放つ場面は、さりげなく描かれてはいたが決して見過ごしてはならないものだった。或いは終盤、存在の希薄化を感じ取った浩平が唐突に「なあ、瑞佳」「オレとおまえの出会いは、いつ、どこだった」と問いかけ、しかも結局はっきりした答えが得られないという条りは、ゲーム冒頭で回想されていた長森との出会いの様子が、これまた確証を欠いた記憶でしかなかったことを裏付けてはいなかったか。
http://astazapote.com/archives/200004.html#d17

さらに

『ONE』では終盤、それまで全く語られていなかった主人公の「妹の死」という幼少期の事件が語られ、しかもその後彼は「えいえんの世界」へと消え去る。この展開がわれわれに驚きをもたらすのは、「語り手=犯人」というタイプの推理小説に似た「語りの詐術」が仕掛けられていたからだと言えると思う。
http://astazapote.com/archives/200012.html#d10

で、これについて、以下のページの記述ともあわせて。
コマンド──「ヤス」という発明 ポートピア連続殺人事件(1)
http://www.intara.net/og/portpia.shtml
ポートピアの完全ネタバレなのだけども、こちらでも「語りの詐術」が行われていることが解説されている。これは直接原文をあたって欲しいのだけれども、こちらが結果としてアシュタサポテの以下の記述、

探偵小説の元祖と呼ばれるこれらの作家が揃ってこの形式の作品を書いているという事実は注目に値する。それは探偵小説というジャンルの誕生に「語り」の問題が関係していたことを示しているのであり、従って語り手が知っている事実を敢えて語らないことで物語を宙吊りにする(suspend)というこの手法は、ここでは単にサスペンスを演出するための一手段とか意外な人物を犯人に据えたトリックとして済ませる訳には行かない問題を含んでいるのである。

の、延長となるわけ。
 

ノベルゲーム以前に少し触れて

と、ここまで来ると、たとえば剣乃ゲーの男性視点シナリオと女性視点シナリオの切り分けもその派生であることが推測されてくる。探偵役をコンビにするのは昔からの常套手段だけれども、この語り手と推理担当の役割分担は、ゲームの主人公=探偵役とその相棒の関係とちょうど逆転していることに気づくだろう。小説では推理担当の中立性を保障するために語り手が分離されるけれども、ゲームの探偵役=プレイヤーキャラクターは、コマンドAVGや選択肢選択型ノベルにおいてはプレイヤー側の手駒として中立性が最初から保障されている。(『ONE』は微妙に異なるが、その違いについては後で述べる)したがって、コンピューターゲームAVGでは、「ポートピア」や「 DESIRE 」(男性側を中心に見た場合)のように、相棒役が裏切る(寝取られる)という役割を受け持つことになる。プレイヤーキャラクターのシステム上の中立性と、相棒役のゲーム内世界観における行動の方向性や客観性や一般性を引き受ける立場が組み合わされてゲームの行動基準が設定されるのだが、二人の間のズレは必ず生じているわけで、そのズレをシナリオ=テキストのレベルで明示することでゲームのルールの中途変更が行われる。*1
 

幼馴染=背景画像

さて、多少脱線したが、これらの「相棒」とシナリオ分岐型ノベルゲームの「幼馴染」が似た役割を割り振られているとすれば、シナリオ分岐型ノベルゲームの幼馴染の意味合いも見えてくる。
突き詰めてしまえばノベルゲームの世界の風景とはヒロインの記憶もしくは「内面」そのものであることは上でリンクした各所を読んでおけばいいし、それらが全て「過去」へと遡るものであることも既に指摘されている。ヒロインキャラクター以外に目指すべきものが何一つ存在しない以上、たとえばゲーム世界を地域支配する、空間的に制圧することはできない、というわけ。ここにおいてもエロの隠蔽が物理的な意味合いでの獲得を否定するように働いている、と言うことは当然可能。
このようにして、シナリオ分岐型ノベルゲームで僕らが画面に見る風景は全て時間(連続性)に還元されなければならない。となれば、ノベルエロゲーの画面のキャラクター、背景画像、テキストの三つの構成要素のうち、背景画像を管理するのは幼馴染の役割となる。キャラクターはメイドロボの管轄、テキストは男性主人公の管轄ね。
では、幼馴染がいないとどうなるか。たとえば『雫』のように背景がモノクローム化する。世界が所与のものとしては成立しなくなる。ヒロインに手を引いてもらわなければ、主人公視点の画面は漆黒の世界となる。

蛇足

…というのはシナリオが完全に分岐するタイプについての話なので、基本的な世界設定を男性主人公やヒロインに関係なく作り上げてく場合は別となる。ただ、例えば『C†C』が「無限に繰り返される夢の中で主人公が過去の罪の記憶の隠蔽と暴露を繰り返しつつ少しづつ自己の記憶を捏造し安寧を得ていく過程を描いた心理劇」として読むと一番考える面倒が少ない解釈になるように(それが「正しい解釈」だとは思わない。手っ取り早い、というだけ)、効率優先で考えるならば幼馴染=背景画像である。
・・・
というわけで「メイドロボと幼馴染」が分岐型ノベルゲームの葉鍵時代のキーワードとなります。

*1:直近では、『 Fate/hollow ataraxia 』も衛宮士郎という「男性視点」とバゼットという「女性視点」の交錯によって成り立っている。この二人の関係について詳しく述べるのはネタバレになってしまうので避けるが、けして剣乃シナリオを模倣したわけでもなく(いや参考にしたかもしれんけど。ティーナとカレンの役割の類似も多少あるにはあるが)似たような関係となっている点には注意しておきたい。