sola 9話 つづき

 逆に、回想シーンにこういう形で重きを置くのはシナリオが個別のキャラクターに帰属しているから、という言い方もできて。

 えーと、

>「回想」と「過去のエピソードの挿入」は全く別のもので、喩えるなら回想は他動詞的であり、挿入は自動詞的なものであると言える。
http://www.geocities.com/lovelyaichan2000/01.html#07

の話ですが。今回のを「自動詞」っぽく見ると戦闘シーンが邪魔でしょうがないんですよ。にも関わらず、戦闘シーンになんか労力をかけてるっぽくてバランスが悪いったらない。

 一方で、ギャルゲーシナリオでのキャラクターを中心に据えて修飾を重ねてく形式は、その回想の中で、どういう視点で、誰が主人公として描かれようと、「他動詞」っぽくしかならないわけで。

 萌える萌えないといって、キャラクター単位で物事が描かれるってのは、そーゆーあたりで作りの正当性が全然逆になるということで。

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 世間が喧しいので。繰り返しを取り入れた演出について。

 本来は、いささかのズレも取り入れるべきではないと思う。『時かけ』のアニメで「ちょっとづつ違う」のを「ゲームのループ」に結びつけるのとか論外。あれは、一定のリズムでどうこうとか、そーゆー物言いを使うべきだ。

 元々、ゲームシナリオのテキストの繰り返しなんてのは「○○にXXポイントのダメージをあたえた!」の表示が幾万回も繰り返される延長上にある。それが変化して誰が喜ぶものか。それは意味もなくただ繰り返されるものだ。

 もう少し緩く言えば、なにか特定の方向性へ誘導していくような、そういう変化の演出を「繰り返し」の中に読み取らせるのは、間違いなく、致命的に悪質な欠陥。

 ランダムであること、何度も繰り返して、まるで法則性が見えないこと、先に進んだように思えたとしても、次にまた全く異なる方向へ向かってしまい、どこにも向かわず、終わりも始まりもない、そういう状態であるときに、はじめて「繰り返し」を取り入れた演出が成立する。Prismaticallizationでいえば、ED、エピローグを見終えたと思ったら例の画面に戻っている、何を読もうと詠むまいと何も変わらない、そういう形式。

>ONEもなー、選択肢の意味がわからないうちが華だったよなーとか。
http://imaki.hp.infoseek.co.jp/old/g9912.html

 そういう話。