どうしてディックや神林長平やツツイの類を

読んで語る小説読みの人たちがエロゲーシナリオを語りだすと超保守なことを言い出すんだろう。「ひぐらしのなく頃に」のミステリじゃない批判にしてもそう。アンチミステリて呼ばれる小説て、帯や紹介文でアンチミステリって紹介されてないと受け入れられないのだろうか。ましてや、「ひぐらし」ではHPでも煽りでも推理小説であるともミステリであるとも一言も言ってないのに。
…てなことをつらつら思ってたんだけど。
なんとなく思ったのは、神林長平あたりを先に読んでバーチャルリアリティーとはこういうもんだ、的な先入観念を抱いてしまって、そこからノベルゲームを「読解」してるのかな、と。
例えば「猶予の月」の結末を、事象の選択や何やかやの取り扱いの規範や理念として考えてしまって、それをゲームのシナリオに適用したいとか。
いや、以前にSFマガジンで「僕たちのリアル・フィクション」だっけ、の記事でゲームを紹介してるときに、セレクトへの不満として

んでも、アリスソフトの適当な一本と互換できちゃう程度なのは変わらず>腐り姫
気にしだすとノベルゲーと断ってるくせにガンパレが入ってるのも違和感あるし。
21世紀になっても世紀末気分だったらいいんかと。
シナリオ内でメタフィクションに言及してればいいんかと。
いかん、どんどんやさぐれていく。

センスオブワンダーだけで突っ走るならいっそシスタープリンセスを推薦してはいかがか。

とか書いたんだけど、イマイチ反応なかったし。
『猶予の月』がアリならシスプリだって普通にオッケーじゃん。12人妹がいて全員お兄ちゃんのことが大好きで、血縁と非血縁が選べて。
究極超人あ〜る」に星雲賞を取らせるよりか、ずっとまっとうにセンスオブワンダーに溢れてるって。