@oyomot: あー。西方任務で逸れまくって、ろ号が先に終わってしまった。土日あたりd4?5で終わらすかね
@oyomot: 魔夜峰央の埼玉マンガも昔読んでて、当時普通に読んでたのは確かなのだが、今のネットの持ち上げられ方はやっぱり違和感があるので、どうもこう、「ネットでワーッと盛り上がる」という感情表現の形式としての「面白さ=笑い」にアクセスできないのかなあ、と思わんでもない。別言語の中にいる感じだ
@oyomot: おそ松さん1話、声優すげーなという感想は湧くのだが、やってること自体は単発ネタの羅列に近くて、あんまし面白いとは思ってなかったので、幻の回とかゆーて神格化されるのは嫌だなあ、という。つか、別に大して大仰なネタを使ってたとも思わないのだが、何が問題だったのか。
@oyomot: RT @kondou0809: なんかこういうグッズ作ってほしいとか考えてたやつ URL
@oyomot: そんで新しい分野の小説、から、どんどんリッチになった。件の記事の「シンプルな状態を取り戻したい」てのは、そういう「小説」になった以降の意識だと思う
@oyomot: そこから「小説」が始まっちゃった、ということで、意識が切り替わった。元長のひとなんかも、そういう史観を打ち出そうとしてたよね。現在どういうの書いてるのか知らないけど。んで新ジャンルの小説、という枠組みにジャンプしたから、そっからがスタート。
@oyomot: ところが、ゲームとしてどんどん「貧しく」していった果てに文章読むだけになっちゃうところまで辿り着いたとき、「あ、これって小説じゃん」ていう「勘違い」が成立してね、そこで一気に、小説という別枠の広大な版図のジャンルから逆流できるんじゃないの、とゆーのが、2000年のときの月姫あたり
@oyomot: 逆にな、2000年までは、「ゲームとして」、徐々に「貧しく」なっていった、という言い方もできるわけですよ。どんどん貧しくなって貧しくなって、極限まで削ぎ落とされてエッジが研ぎ澄まされたのが葉鍵という終着点。僕は当時からそういう見方。だからその先はない
@oyomot: ただ、リッチ要素で客を集めないとすると、どうやって新しい実験要素をやっていきますか、というなら、月姫やひぐらしのようにノベルゲーム制作エンジンのフォーマットの上にシナリオのっけました、では、もう無理だと思うので、そのフォーマットを解体します、まで行けばいいんだけど、
@oyomot: で、そういう意識でノベルゲームというジャンルを自明視するという態度の限界ってのも見えるわけで、まあ、なかなか、思うようにはいかないだろうな、とは思う。余計なリッチ要素はいらない、とゆー意見が出てくるの自体は、今更ではあるが、まあ、悪いことではない
@oyomot: ビジュアルノベル製作エンジン、みたいなフォーマットがカッチリとあって、作り手が手がけるのは、その上に乗っける素材としてのシナリオテキスト、グラフィック、BGM等々です、とゆー意識に切り替わったのが月姫のあたりってことで、そういう意識のありかたが非常にきれいに出てると思う
@oyomot: それ以前は、ある程度までは、イチイチ形式を組み立てて自作してましたとゆーことで、類似品多数、ジャンル分類としても既にある、であっても、いってみればシナリオテキスト、グラフィック、効果音、その他諸々の要素とゲームのプログラミングは並列でさ。
@oyomot: なんていうべきかね。やっぱ、こないだ脆弱性が指摘されてたビジュアルノベル製作ツール・エンジンが用意されて、ああいう形式がフォーマットとして自明視されるあたりから、じゃないかなと思うんだよね。
@oyomot: 同人だから、とゆー側面はなきにしもあらずだとは思うんだけど、さておき、雫だとかとは世代間差みたいのはハッキリと感じるので、まあノベルゲームと書くと色々とそれは流石になあ、とは思うんだけど、意識の有り方として月姫以降です、とゆー史観を打ち出すこと自体はいいんではないかと