@oyomot: 折木くんとまんまそっくりなのだなあ>二次創作のオリキャラ
2012-07-19 23:25:45 via web
@oyomot: ミステリが殺人事件と親和性があるというのは、物言わぬ他人だからこそ覗き見の正当性が確保されるから、と言えようが、「人の死なないミステリ」なる限定ジャンルの様式でもって、作中の人間関係として「他人の事情を面白おかしく憶測で勘ぐる」態度が人とつきあう態度として描写されるべきなのか
2012-07-19 23:20:05 via web
@oyomot: フィクションでそれを楽しむのは、戦争映画やチャンバラを楽しむのと同様、べつに非難されるいわれはないと思うが、だからといって理屈をつけて正当化されるものでもない
2012-07-19 23:13:57 via web
@oyomot: 手持ちの情報ででっち上げストーリーを推理してみせる、てのは、てゆか「推理する」てのは、もともとが陰謀論であったり隣の家のプライベートを面白おかしく推測して(あの奥さん浮気してるんですって的な)言いふらす行為であるのは言うまでもなく、それが面白いのも言うまでもなく
2012-07-19 23:10:46 via web
@oyomot: そういうふうに「人が死なない状況」に依拠して成立してる作中で「人の死なないミステリ」について「人の死ぬ話ってやだ」という素朴な心情を持ち出しつつ「ミステリを知らない人へのミステリ講義」の中に織り込むのは、意図的ミスリードと言えるのではないか。
2012-07-19 22:57:31 via web
@oyomot: 折木くんが「言った者勝ちのでっちあげストーリー」という基準で推理を提示できるのは、死者不在だから本人の気持ちに責任を負わなくていい気軽さがある、と言える。京極堂も「でっちあげストーリー」を披露するけど、生者と死者への責任を負った上で調停を試みる、とゆー態度がある。
2012-07-19 22:50:15 via web
@oyomot: 「人の死ぬ話ってなんかやだ」って素朴な心情をそこに被らせるのは、政治プロパガンダ的にすら見えると思うのは俺の気にしすぎなのか
2012-07-19 22:31:36 via web
@oyomot: 文章芸として綺麗にまとめるなら、ひとつの手法だが。今のところ、インドあたりで行方不明とか、クラスメートから意図的にシャットアウトさせとくとか、「物言わぬ他人」=死者にあたる人たちの扱いのぞんざいさは「人の死なないミステリ」が単なるゲームルールに過ぎないことを匂わせる
2012-07-19 22:25:46 via web
@oyomot: アメリカ軍の精密爆撃は民間人を除外して敵を倒します、みたいな欺瞞を不殺ヒーローに感じるのは十分に妥当だと思います。「人の死なないミステリ」てのも、TV番組の報道から特定の表現を抜き取りました、的な気持ち悪さがあって
2012-07-19 22:20:21 via web
@oyomot: 「人の死なないミステリ」という物言いは「不殺ヒーロー」に通じる胡散臭さがあって、それを「ミステリとかよく読んでないけど人の死ぬ話はあまり好きじゃない」という個人の嗜好に関連付けようとする物言いも、ちょっと、どうかと思う。「人の死なないミステリ」はゲームのルールの話だし
2012-07-19 22:14:59 via web
@oyomot: それって、メディアミックス展開のなかで、どういう位置づけなんだろうな、と。
2012-07-19 21:39:39 via web
@oyomot: 京アニというのは、たいがい原作レイプで有名なんですが、一方で原作に忠実なことで有名でもあります。つまりシナリオはたいてい原作の流れのままである、という意味で。
2012-07-19 21:37:57 via web
@oyomot: 物語があるからジャンルの枠組みを超えていく、わけではなく、ジャンルの枠組みを外から維持するために物語が要請される、的な。
2012-07-19 21:34:03 via web
@oyomot: で、アンチジャンルですが、ジャンル自体は拡散してるので、アンチジャンルであるだけでは成立しないのではないか。そこに必要とされるのが、シンプルな物語構造だったりするんでないか。と。キャラクターではないと思うんですね。なぜなら、キャラクターはメディアミックスな領域のものだから
2012-07-19 21:31:43 via web
@oyomot: なんか、東ひろきみたいな話に
2012-07-19 21:28:43 via web
@oyomot: ジャンルが消失したからこそアンチジャンルが求められる、といった
2012-07-19 21:26:17 via web
@oyomot: メディアの核の部分というのはクロスメディアによってむしろ外へと露出していくわけですが、そのため、アンチジャンルという外枠がジャンルの内側になってるんじゃないか、と想像するわけです。
2012-07-19 21:22:13 via web
@oyomot: メディアとジャンルってーのは違うのかつながりがあるのか、からですが、関連してると思います。ジャンルに支えられてメディアが成り立ってると言えるでしょうし。
2012-07-19 21:18:05 via web
@oyomot: メディアミックス展開がメディア維持の大前提である現在、アンチというジャンル維持のための存在もまた、メディアミックス展開から見た位置づけで考えなければいけないのかもしれません。
2012-07-19 21:15:43 via web
@oyomot: 「アンチ」というのは、もちろん、相手の枠組みに依存することでしか成立しないわけで、アンチの態度を取ることで枠組みを発見し強化し維持存続するのが主目的で、そこに対する万年野党の位置づけを確保するのが目的であろうと思われるわけですが、
2012-07-19 21:13:14 via web
@oyomot: 読者を冷たく追い払うことで体裁となす、というのは娯楽たりうるのだろうか
2012-07-19 20:56:17 via web
@oyomot: ああ、アンチミステリなのか。
2012-07-19 20:55:21 via web
@oyomot: ミステリを読んだり見たりすると人間関係が殺伐とします、という話なのかな。それをもってして本格ミステリ入門の体裁であるとするなら、ミステリを読むとはかくも孤独で何も得られない作業であるから読むな、というふうに門前払いしてると考えるべきなのかもしれない。
2012-07-19 20:54:27 via web
@oyomot: 折木くんは、そのような受け身の人間関係を構築する人なのだとすれば、あらためて、知人から「おまえの推理は間違ってる」とか言われるとゆーのは、そういうふうに相手に言いたいように言わせて相手の優越感を満足させることが人間関係の構築だと思ってるのかなあ、とか
2012-07-19 20:41:06 via web
@oyomot: 行き着くところ、佐藤聡美が「人の死なない話を書く脚本家」という幻想を見たいと思うからそれを見せてあげた、という枠組みなのだが、「他人の見たいと思うもの見せる」という意味ではカメラマンが犯人でしたというのとやってることは全く変わらないわけで。
2012-07-19 20:38:14 via web
@oyomot: ところで、気持ち悪いのは、「原作者の気持ちを推し量りたい」といいつつ、結果として原作者は他者からは「人の死ぬ脚本を書いた原作者」として認知されるのだろう、ということで。
2012-07-19 20:34:45 via web
@oyomot: 名前オチはけっこうな下策じゃないのかなあと思うんだけど(フィクションの登場人物なので自由に名前をつけられるわけで、言葉遊びとして見た場合)
2012-07-19 20:30:59 via web
2012-07-19 20:29:20 via web
@oyomot: というか、元々は「七人目」としてナレーターを探してたんでしたっけね。語り部がどういう位置づけだったのかは、ちょっと推し量れませんが。
2012-07-19 20:10:39 via web
@oyomot: ですが、「ミステリの歴史からみて」、というのは、なんつーか、今、いったい、どんだけの創作物が世の中に溢れてるんだ、マンガだろうとドラマだろうと子ども向け番組だろうと、ということを鑑みますと、無茶な批判でして、氷菓てのはミステリ読者以外は人間扱いされないディストピア世界なのかと
2012-07-19 20:03:37 via web
@oyomot: たとえば折木くんがメタ視点を思いついたのは「ミステリの文脈」「創作者の文脈」からは多少距離を置いた部外者だからである、ぐらいは想像されるので。だからといって、最初に文章視点でものを書いてるであろう脚本を組み立てる人が「カメラマン」を思いつくのも無理はあるでしょうが
2012-07-19 20:00:51 via web
@oyomot: 最初は全部がメタフィクション的であり、それが形が定まってくるとフィクションとして提供・受容の態度も決まってきて、それが成熟してくると改めてメタフィクションなり叙述トリックなりが出てくる、とゆー流れがあるんだと思います。
2012-07-19 19:57:51 via web
@oyomot: てゆか「現存する最古の演劇脚本」にある、というよりも、「フィクションの受容の方法」がフォーマットとして成立するまでは、フィクションもメタフィクションもありゃしないわけで、創作物の初期段階は全部メタな視点やメタな態度を含んでなきゃ嘘だと思います。
2012-07-19 19:53:44 via web
@oyomot: わかんない人に説明するとURLの甘寧の撤退時のボイスでござる。杉田さんは三国志大戦にボイス提供してるでござる
2012-07-19 19:50:43 via web
@oyomot: 叙述トリックの歴史から見てどうこう、というのは僕も無理筋というかミステリの人のご意見だなあとは思いました。シャーロキアンもどきの人の説、という枠組みの発言ではあるが、それを批判もなく丸ごと受け入れるのは、まあ、様式美のご都合で。
2012-07-19 19:48:07 via web
@oyomot: それは嘘だと思いました>『「ミステリ」はあくまでジャンルとして選ばざるを得ないからそれを選んでるというだけ』URL
2012-07-19 19:41:44 via web
@oyomot: こういう人たちに既にアスベスト混ざってますが、と言っても、わりと信じてくれないのかもしれない。
2012-07-19 08:13:29 via web
@oyomot: とゆーことで「アスベスト」で検索かけてみたら、東北がれき受け入れについてアスベストが混ざってるからヤメレ、というのがあるらしいのだが、東北から持ってこなければ大丈夫であるかのように思えてしまう煽り方な気がするので、どんなもんか
2012-07-19 08:09:51 via web
@oyomot: 東鳩は実際にはエロシーン抜くとシナリオ別物になりますし、実際に別物になりましたけどね。鍵ゲーもしばしばそう。「エロいらね」と呼ばれがちなボーダーラインあたりのほうが「エロシーン」で何か書こうとしてたり。
2012-07-19 07:38:43 via web
@oyomot: エロCGなしでいいなら、性的関係があったことを示す文章だけで良いなら、いまどき普通にギャルゲで実現できてるので、現状のエロゲのそれなりに多くのシェアを占める恋愛ノベルゲーとしては、そもそも「エロシーン」いらないよね、という話になる(東鳩の頃はそう言われてた)のだが、そうするとか
2012-07-19 07:34:58 via web
@oyomot: 改革として考えられるのは、レビューを18禁ではないゲームと統合させてく、ゲームじゃない別ジャンルであると考えるなら、アニメやライトノベルと評価の軸をそろえていく、といった
2012-07-19 07:27:52 via web
@oyomot: 裸の立ち絵が表示されるだけ、のようなのは、エロシーンとは普通呼ばない、といったことから、実際の形式としてキッチリと分けられてしまっているのが現実であろうと思います>「エロシーン」という呼び方
2012-07-19 07:24:25 via web
@oyomot: 具体的な問題その2として、1枚絵のCGを使った進行が前提となるので、しばしば他の場面と明確に区別されること(他のシーンは立ち絵やバストアップの人物表示を軸とした表示であることや、BGMの変化による相互の違いが強調されがちなこと)>「エロシーン」という呼び方
2012-07-19 07:21:28 via web
@oyomot: 具体的な問題として、「エロゲー」というジャンルが販売市場、流通市場、具体的団体、雑誌、ネットのレビュー、等々において「ゲーム」と別枠になってること>「エロシーン」という呼び方
2012-07-19 07:18:04 via web
@oyomot: どうも古典的人間像を維持できるか否かみたいなあたりでグネグネしてたっぽい、とゆー印象なんですけどもさ。
2012-07-19 00:13:44 via web
@oyomot: SFのさ、ニューウェーブに対する拒絶反応って、よくわかんないわけですよ。そこんとこで踏みとどまろうとしたのは、いったい、どの辺なのか、てーのが
2012-07-19 00:11:18 via web
@oyomot: いちおう、アレだけは読んではいます、がURL
2012-07-19 00:05:13 via web