じゃ続き。

「ループはパラレルなシナリオ構造が孕む矛盾を合理化するために選択しうる方法論のひとつである」
http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20050927#1127763901

結果としては合理化しえていないわけです。
従来よりの「矛盾」を全て「この世界はこういうふうに出来ているから」という設定レベルに還元しようというのが『C†C』の基本的な戦略ですが、それすらも「どちらとも好きなように取れる」つまりプレイヤー/読者の判断に委ねており、つまるところ以前からの「矛盾」は解消されないまま、SFじみた世界設定が物理学的・科学的に説明がつかないという新しい「矛盾」も抱え込む。つまりループという手法の選択は「合理化」という目的においては失敗だった、問題を先送りにしただけで前にも後ろにも進んでいない、と考えるのが手っ取り早い。
この結果は『腐り姫』においても見ることが出来る。
「ループする時間」と「同じ行為を何度も繰り返す」は当然ながら別物ですが、外見上の類似によってまるで同じであるように扱われる。選択肢を経由したシナリオ分岐も含めて考えれば、より一層異なって見えます。実際、「同じ時間を繰り返す」ように見えるシナリオ記述を採用したノベルゲーム作品は、しばしば、意図的に前の描写と異なる異物を混入させます。『AIR』のそらの存在は非常に具体的な形ですが、引き継がれる記憶というのもまた異物の典型的な例です。
これらの異物は、最終的に「ループする時間」の崩壊という結末を導き、その帳尻合わせによって「ループする時間」はノベルゲームのシナリオと同居している、というのが「ループする時間」を扱ったシナリオの実情です。
腐り姫』の繰り返す4日間から脱出した後の展開は、そうしたループの崩壊を作品内部に回収しようとした結果として生じる。「ループする時間」を創出するために、ループの外部を描かなければならず、そのようにして繋いだ道筋は最後の3択をプレイヤーの手に委ねることで、つまり本来ならば接続しないはずの空白の部分を「プレイヤーの意思決定」で糊付けすることで、ようやく接続を果たす。そこにはメビウスの輪のような捩れがある。
で。

マルチエンディング型ノベルゲーである以上、コンプリを求めてプレイする、という、プレイヤーの欲望から逃れることは出来ないし、その欲望はノベルゲーを語る際、唯一絶対ではないが極めて重要な立脚点である、ということだけで、十分そちらの意見に対する回答になっていると思います。
http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20051003#1128323022

については、内容を合理化されないで先送りされた結果、まだ読んでないテキストを残したまま先へ進んでしまい、かえってコンプし辛くなってる。『痕』形式のように先への展開が開けても何時でも以前のシナリオを再読できるほうが親切設計です。
ついでに、『C†C』が提示してみせたのはシナリオコンプの欲望ではなく「正解」への欲望でしょう。
ただし、作品はその欲望に最後まで付き合おうとしない。エピローグの
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Dice/5403/cc/02_01_ed.html
の台詞が端的に示しているように、ノベルゲームの繰り返しプレイについて自覚を持ちながら、それをシナリオの核心に繰り込むことをせず、ただほのめかす。冗長でお世辞にも成功しているとは言い難い『 Fate/stay night 』が不恰好にもノベルゲームへの自覚を作品内にブチ込んでみせるのと対極的です。

CROSS†CHANNEL」は、それに対して自覚的であるが故に、あのような構造になったのではないかと。ただそれは超克ではなく再構成だったのですが。

『C†C』を評価するには何よりまず中途半端であることを評価しなければ始まらないと考えます。
http://d.hatena.ne.jp/tdaidouji/20051002#p2
は別に全部が全部冗談というわけではない。