当り前の話ですけど、複数のストーリーに分岐するビジュアルノベルのシナリオにおいて、テキストレベルだけで見た場合、統一されたテーマや一つの結論、一つの焦点に向けて全体を組み上げていく構成は作れません。
テキストレベルで全体に統一性を持たせようとしたら、どんな結論も出ない構成にすることです。面白い、けど結末はない。考えさせる、けど何も語っていない。読者、プレイヤーが「これで終わり」と決めたときに終わりになる。けれども、その終わりにはプレイヤーが終わりと決めたという決定以外の一切の意味は生じない。そうしないと、必ず矛盾が生じるでしょう。一つの主題を盛り込もうとすれば別の主題が一方に生じてしまいます。
最初から何ら生産性を持たない矛盾を構成のレベルで組み込んだ作品は幾つかあって、私が好意的に取り上げるのは基本的にはそういう作品です。「水月」とかね。それ以外の、どこかに焦点を合わせようとして、かえって焦点が複数にぶれてしまった作品群は、基本的には好みません。
ですが、このマルチシナリオの形式の「焦点を合わせようとするとブレる」という特性は、実は良い一面もあります。マルチエンドにしておけば、致命的な失敗・崩壊というのがなくなるのです。私が『腐り姫』や『月姫』に好意的なのはマルチエンドのそうした長所を消していないところであり、『 CROSS†CHANNEL 』を全く評価しないのは「繰り返し」を取り扱いながら唯一の結末に拘泥しているためです。
確かに、作り手側が「これこそ伝えたかった真のテーマの書かれたトゥルーエンド」というメッセージを発してくることはままありますが、幸いにも私たちプレイヤー側は、別の終わり方を選択することが出来ます。バッドエンドやハッピーエンド、途中でプレイ放棄、インストールしないで積みっぱなし、体験版で終わりにして最初から買わない、全く視野に入らない、などです。マルチシナリオ、マルチエンドの方式が浸透していくことで、そうした「作り手の意図した終焉」以外の終わり方をグラデーションのようにして視野に入れることが出来るようになるでしょう。(私は「読了」という言葉の現在ネット上で見かけるような使われ方をあまり好みません。)
 
前置きが長くなりましたが、以下はそのような焦点を合わせようとしてブレてしまった作品の、そのブレを巡る話。