「僕と、僕らの夏」light/2002

ネタバレあります。
 
 
 
完全版を購入して、初回PC版のHシーンを埋めて、現在 Special Marge 版で詰まってるところ。「裏ルート」に行けないので最初からチェックしています。ちなみに、SM版はいまどき珍しくネット上でも攻略情報が見当たりません。
2002年はノベル系ゲームの節目の年ですが、2002年の初頭に出た作品らしく、作品の全体の流れが緩やかな捩れを生じています。
舞台は甲信越東海地方の何処かと思われる山村。恭生は数ヶ月後にダムに沈む村に最後の別れを告げるために夏休みを利用してやってきます。そこで3年以上出会っていなかった、幼馴染の市村貴理と再会する。
「表」シナリオでは、恭生と貴理の二人の視点が交互に入れ替わります。ですので、「表」は男性主人公が複数のヒロインのうちの一人と結ばれ、ヒロインの事情に深入りしていくという一般的な「ギャルゲー」形式を取りません。貴理の他に恭生とHシーンのある娘さんとして有夏と冬子の二人の女性がいますが、その関わり方は特殊で、例えば恭生と有夏が付き合うことになっても貴理視点の語りは最後まで続きますし、貴理が有夏と付き合うことになる一方で恭生が誰とも結ばれない展開を一週間以上も語り続けたりします。
これを整理すると、恭生と貴理という二人が再会し結ばれるまでが基本軸、その間に割って入ろうとする(どちらか片方と結ばれる)有夏、有夏の裏の存在として二人の関係を本来の形(一夏の再会、そして別れ)に調整しようとする冬子、となります。
恭生と貴理の二人の結ばれる物語は、要約すると「ダムが建設されることになったおかげで二人は再会し、結ばれて幸せになった」となります。ここに貴理の、ダム建設の調査のために来た父親と村人である母親が結ばれた結果として貴理が生まれたという設定を加えると、愛し合う二人のHシーンを「正解」とみなすエロゲーの基準において、ダムが建設され村が沈むのは絶対的に正しいことです。
ここのところが勘違いされがちですが、ゲームとしての体裁がそこにある以上、ゲームの勝利条件とそれを決定するシステムや設定こそがそのゲームの中で繰り広げられる世界観の根本原理であり倫理であり物理法則なのです。シナリオの内部でどれほどにダム建設をめぐる現実の社会問題について議論を深めても、それはゲーム内においては言ったもの勝ちのフィクションでしかない。選択肢が登場人物の心理に沿ったものである以上、言葉は登場人物の心理の流れを中心に構築され、人間集団や社会に言及する言葉は個人の心情に吸収されるのです。
さて、PC版の貴理と恭生の愛あるセックスの描写は、扱いがあまりにも大きすぎて、全体のバランスを崩してしまう結果を招きます。テキスト上は「ダムに沈む村」のダムにも村にも肯定も否定も与えない描写の姿勢を貫きながら、エロゲーのお約束はダム建設にあっさりと是の評価を与えてしまう。「裏」ルートとしての小川冬子の物語やPC版オマケシナリオに登場する4人の物語は、貴理と恭生のダム肯定とのバランスを取るために語られているかのようです。冬子は「ダム肯定・村否定」の自らの態度を見つめなおし、(貴理と恭生の間で汚れ役を演じた)有夏は冬子の物語に助けられる形で救済の手を差し伸べられ、そして最後にもう一度、しつこくも見える和典のダム否定発言。ダム建設と共に未来へと跳躍する*1恭生と貴理のラブラブエンドと差し引きバランスを取るため、他のキャラクターたちは過去(村の記憶)に囚われる役を割り振られることとなる。しかしながら冬子が完全な悪役になりきれなかったように、各キャラクターごとの物語内のバランス調整を行ってしまったために、どのシナリオも決定的なカウンターとしては機能せず、最終的な収支は恭生と貴理のダム肯定側に偏るわけです。
このようにPC版はやや消化不良のまま、全部を投げるようにして強引に幕を閉じます。不完全版だった、ということですね。
 
ところが、話はこれだけでは終わりません。DC版へ移植される際にPC版オリジナルスタッフによるシナリオ改変が行われ、状況が変化するのです。
続く。

*1:DC版ではウェディングドレス姿の貴理の幻想が描かれます