追記

抽象性の高い囲碁や取った駒を再使用できる将棋のように、死を想起させないゲーム/ルールが定着した歴史みたいのを拾っていくのは大事なのかもしれない。個人的記憶として「ディプロマシー」をプレイするのに人集めに苦労したのも書いておくべきか。昔は、ゲームシステムを経由せずに他人をストレートに裏切るようなゲームは嫌だから、と言って敬遠する人は大学のゲームサークルあたりでも割といたのである。思わず国民性、という言葉を使いたくなるのだけど、他の国だとどうなんでしょうね。