虐殺ゲーと言うけども

 ところで、もちろん真面目な記事などめんどくさくて追いかけていられないのだが、「殺人」と「強姦」は現の被害者が二次・三次被害を受けるか否かで分けられる(殺人の被害当事者は後でいくら言論等で貶められたりしても被害を自己申告できない)という話はきちんとしてるんだろうね。なので殺人は探偵小説だろうと文学小説だろうと2時間ドラマだろうと、いくらでもネタにしていい。二次被害が発生しないから。

 や、俺だって某ロフトプラスワンで故見沢知廉の話を聴いたりしてたけどさ、殺人者だから絶対許せない、とゆー感覚は当時なかったしなー、てのはさておき。

>このゲームは「要人の暗殺」をテーマにしている。人混みに紛れて敵に発見されないよう侵入し、ターゲットに近づき、倒して、街から脱出する。サン・マルコ広場は本当に美しく表現されているが、そこでできるのは「人を倒す」ことだけ。何か決定的なバランスの悪さを感じる。
>「この開発環境を、そろそろ、人殺し以外の目的に使おう!」
>聴衆からは大爆笑と拍手の嵐が起きた。北米の開発者も思いは同じなのかと内心笑ったが、それが容易ではないこともみな知っている。
http://it.nikkei.co.jp/digital/column/gamescramble.aspx?n=MMITew000019062009

 GTAの「虐殺」をネタにするなら、とりあえず今までのコンピューターゲームの歴史での大量殺戮・大量破壊ゲームの話をしてもらわないとね、てのがゲーマー側の感覚だ。随分と昔にも書いたがドラクエのモンスターを供養するなどと言い出すならチェスの駒はどうすんだ。

 ゲームでは、殺人や破壊、それに準ずる行為はまず「形式」として当り前に存在しており、それを現実の道徳に照らして咎めるのは「ゲームと現実の区別がついてないバカ」である。で、GTAはそーゆーゲームの常識に対し「コンピューターゲームのゲーム性はアレな暴力を楽しんでるのと区別つかない代物なわけでさ、そこんとこハッキリさせとこうぜ」とゆー自明の限界値をあえて提示した、となる。

 で。さて。グラディウスだろうとWIZだろうと、GTAやPostalよりか殺人を美化(抽象化)し見えにくくしてるからアウト。チェスなんて最悪に殺人戦争礼賛(いつの時代の聖職者だ)。「社会全体に現に存在し問題とされている暴力の構造に、無反省に、ただ乗りしている」と。そーゆー話をルワンダ先生は言ってるわけだ、が。