死をめぐって

なぜ、現実では「人を殺してはいけない」とされ、フィクションでもそのルールは概ね準用されるのに、現実世界の人間がフィクション世界の人間を死なせることはよいのでしょうか?
http://www.hatena.ne.jp/1126366449

ていう話で一応チェックしておきたいところは、

実はあの質問の裏テーマのひとつには「ひぐらしのなく頃に 罪滅し編」があります。
http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20050911#c1126441329

という質問者の言及がある点。さらにこれに加えて、

自分は以前、ゲームの中で殺されるモンスターも供養すべきじゃないか?ってblogに書いたことがあります。(神田明神が相応しいでしょう)
http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20050911#c

というコメントも注意しておきたい。
このあたりから推測するに、割と当り前にゲームもしくはノベルゲームで描出されるものを想定して質問は書かれている。つまり、ゲームと小説の区別のようなメディアの差異は、ここではあまり考えられていない。「フィクション世界」という言葉を使用することに躊躇しない点からも、それは裏付けられる。
でまあ、それに異議を唱えないことには話が進まないと考えるのが私の立場なので。もう少し言うなら、チェスの駒と戦術シミュレーションゲームの戦車ユニットとシミュレーションRPGの固有名詞のあるユニットとRPGのストーリーに登場するキャラクターとビジュアルノベルのヒロインと小説の登場人物と、どこで線引きがなされるのかという話は実際のゲームプレイヤーの心理の動きに大きく関わってくるだろう、と。チェスの駒を盤上から取り除くごとにカウントしてって、その制度上の死を供養することに同意する人はどの程度いるのだろう、とか。
 
昔、こういう話があって。

月宮あゆが助かるってことは、残りの2人は助から…」、二者択一の論理と倫理。
http://flurry.hp.infoseek.co.jp/200308.html#02_1

ここから派生して割と不毛な議論というかネットバトルみたいのが1〜2ヶ月ぐらい続いた*1のだが、今回の質問もおそらくは同じようなところから発火してる可能性が高いと思われる。つまり、少し前までゲームに勝つための消耗品(エロゲーなら自慰のためのグラビアの代わりのCG)であったものが、突如として顔と名前を持った、実体のある存在になることに対する驚きや違和感。コントローラーやマウスを何の気なしに操作したことがあとから取り返しのつかないことだったと提示される衝撃。
これについて、「作り話と現実」という区分で語ってしまった場合、

見知らぬ人間がどうなろうと知ったことか、という思考に恐怖や嫌悪を覚えるなら、じゃあ名雪シナリオでは交通事故を起こした運転手の人生は間違いなく不幸だし、舞シナリオでは久我くんとその周囲の人々はやっぱり不幸になるだろう。たいやき屋の親父はどうやったって幾許か不幸だ。きみらの心の痛みなんて、たかだか名前や顔(CG)が付随するかどうか、に限られるのではないか。
http://imaki.hp.infoseek.co.jp/200308.html#6

というツッコミに代表されるように、いちいち細かいこと気にかけてはいられない、と答えるのが本来ではあるのですが。そりゃ受精卵は人間なのかクローンで作られた細胞は人間なのかみたいな倫理問題とも何処かではリンクするだろうけれども、こんな遠いところからスタートしたら、そこに辿り着くまでに派生する問題も広がりすぎて、とてもじゃないが手に負えない。

けれども、ゲーム攻略の水準で考えることと、名前や顔があるキャラクターの死に心を痛めることとの相容れなさに焦点を定めるならば。
そこにこそ、ゲームについてオフィシャルな場で何かいろいろ語りたい人たちの興味の中心がある。

ポイントは、俺屍の各キャラクターがかならず寿命を持ち、死が不可避なので、事故死と寿命死とがグラデーションでつながって本質的差異が薄まること。これによって事故死をリセットで打ち消す意味が減り、ノーリセットプレイが成立しやすくなって、「ゲームにおいて真に人が死ぬ」コンシューマーゲームになっている
http://d.hatena.ne.jp/ityou/20050705

ゲームの、記号が記号でなくなる瞬間は何処にあるのか。写真のようなリアルなグラフィックか血しぶきか三次元描画か攻略難易度かストーリーテリングなのか。その問いかけは「リアルなゲーム」を追い求めるのと同じ方向を向いている。というか全く同じ事を問うている。ノベルゲームのシナリオにおいて、死をどのように描写しプレイヤーがどのように受け取っているのかというふうに質問の意味を読みかえるなら、それはそのまま、ゲームデザインについて、「そのゲームは何が面白いのか」の研究となる。

*1:火に油を注いだのは私。id:tdaidouji:20030907とかhttp://imaki.hp.infoseek.co.jp/200309.html#2の「>久弥直樹氏がまず基本プロットを立てて〜」とか、まあいろいろ