ジャーナリズムじゃないという話であるなら

 なんかカウンターが回ってるのだが。

http://www.4gamer.net/weekly/kaito/095/kaito_095.shtmlとか、実際の事件を取り扱ったというと随分とセンセーショナルに聞こえるが、一方で実際の風景を写真でとってきてトレースして背景にするのは基本だし、聖地巡礼なんて言葉まで定着してる。そこから実在する土地を舞台にした物語を作るまではさほど遠くない。つか、アニメのそれは完全に流行だしダイレクトに実際の地名を使ったゲームは昔からある。で、それが問題になったりもする。

http://japanese.engadget.com/2007/06/13/sony-vs-anglican-church/
http://retro.mmoh.jp/e38858.html

 僕らは都庁がロボットに変形し奈良の大仏がプロレスする話を見慣れてる側だが、そゆのに対する拒絶反応があること、表現の自由とやらの線引きが政治的な代物であることぐらいは常識的に知ってる。

 背景がないよりはあったほうが、物語に合わせた舞台が適度に書き込まれていたほうがいい、実際の土地を使ったほうが情報も伝わりやすい。登場人物は土地と結びつき、その結びつきの背景には土地の歴史があり、歴史を作る個々の事件がある。娯楽だって追いかけていけば「現実にあったこと」に漸近してくのは当り前の話で、ジャーナリズムじゃないというなら、ジャーナリスティックな扱いとの距離感について、どこかで判断が求められる。

 だが、実を言うともう一つ。ノベルエロゲで、そうした「実際の場所・事件」を扱うことが本当にできるのか、という疑問。女にしか関心が向かわないよう義務づけられたポルノというジャンルと、目的を絞り込んで他を切り捨てて思考するよう要求するゲームというジャンルの交差地点の限界。

>場所との結びつき、を意図して選択されたであろう舞台設定が活かされているとは言い難く、厳しく言えば思い付きの域を出ていない気も
http://d.hatena.ne.jp/rulia046/20070206#seeall

北野武の背景は、地域性を剥ぎ取られた、ほとんど抽象的なものだ。あえて言えば「貧しい」背景だ。そして、ギャルゲーの背景はもとよりそういうもの
http://d.hatena.ne.jp/imaki/20050213

 例えば、空間的な広がりを獲得しえないからこそ、ループだリフレインだと時間の概念を拡張する方向に意識が向かうのだとして、そうした意識の中で弄ばれる「仲間」「家族」「共同体」というのは何を指すのだろう、とか。