洗脳か

 Garden発売間近つーことで何回かふたばのエロゲ板で関連スレを見たのだが、荒れるのを見たことがない。新作どうよとか書かれると「社員乙」が一つぐらいあるのに。いや荒れて欲しいわけじゃないけど。

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>つまりですね、麻枝准の作品を論ずるために、母性という言葉を用いる人ってのは、「自然性と肉体性を基礎とした温かな一体感」と「アータフィシャルで観念性の先行する、断絶を前提とするような関係性」を、同じ言葉であらわすという暴挙に出てることになりかねないわけです。
http://imaki.hp.infoseek.co.jp/200302.shtml#15

 だって両者は同じものだし、と最近は思ってる。ついでに言えばロールモデルの話もそこに繋げられる。

 ところで「セックスできる母親」と書くと何でもアリになるが「子供が産めない(母になれない)女」と書くと割とあっさり解決する。クローンだしアルビノだし薬飲みまくりだし、遺伝子欠損っぽい雰囲気は十分。あと兵士。

 母については、「社会」から見てのほつれ口、破れ目として考えればいい。そして「家族」においては役割。
 社会てのは通常、死や誕生の周辺の活動については宗教祭祀関連で別枠にくくり、日常視野から外すようになってる。恒常的に生き続けようとする個体を基本にして考えないと世の中成り立たない。生きようとして生きてるわけじゃない赤ん坊や寝たきり植物状態の老人をどうするか、みたいなボーダーラインの扱い決定はとりあえず生かしとく方向へ。ちなみにゲームプレイという考え方も「参加しようとしてるわけじゃないがとりあえず参加してる」みたいな半端を除外して考えたがる。んなもんだから、任天堂のヒトタチみたいにゲームじゃなくて「遊び」をクローズアップする考え方はドイツ人(ロジカルなゲームルールの開発力は凄まじいが「遊び」を学習の過程として捉えるつーかゲームメーカーは教育玩具メーカー)の系譜からは理解されないんだろう。脱線。

 母てのは社会の成員でありつつ出産しちゃう。だから昔は出産はケガレだったように、どっかで生のボーダーラインに蓋をしないといけない。その蓋の役が家族や地域共同体に求められ、裏返ると社会全体を維持するための最後の砦が地域共同体や家族や母のブラックボックスに求められる。