余談

ゲーム性が役割を果たしている、すなわちゲーム性が機能しているというのと、ゲームシステムについての自己言及的な記述があるのとは全く別のことです。「ゲーム性が重要な役割を果たしている」は一般的なゲーム、戦闘を経由しないとストーリーが進行しないRPG作品などに使うべき言い方であって、ゲーム内のシナリオでシステムへの自己言及は、ゲーム性がその役割を果たすのを阻害するために行われると見なすべきでしょう。作り手がそれに自覚的か否かは判りませんけど。今回の場合とくに「観測者である私」という言い方に注意して欲しい。すなわち「私」は「観測者」であって「干渉者」ではない。ゲームのプレイヤーとして「そこ」に干渉することを徹底的に嫌い、傍観者であることを求める。ゲームとは何よりまず参加するものであったはずなのに。(観測と干渉とに厳密な区別など出来ないのだ、となれば話はまた違う向きになるけれども、その場合は「観測」という言い方は使われなくなるんじゃないかしら。)