以下は、すげー適当な雑感です。

2004年は「流れ」そのもののが構造的に変化を起こした

外部から「発見」されたんでしょうね。「ファウスト」なる小説雑誌、つまり「小説」の側から『月姫』『 Fate 』が取り上げられたり、あるいは凋落著しい一般ゲーム業界から、あるいはオタクビジネス業界から、制作費が安くて最低限の一定の売り上げが見込めてキャラ商売が可能な形としてのノベル形式が見出されたり。丁度「ライトノベルを語るブーム」と並行するような感じでしょうか。
これは私の雑感ですが、このあたりを総合すると「オタクビジネス業界におけるテキストの復権運動」と呼べそうな気がします。私の理解ではこの国のサブカルチャーてのは要するに「活字が主役じゃない」で括れるものですけど、それが活字主導の再構築の流れのために、たまたまコストの問題で活字の占める割合が大きいものを活字主体に読み替えていく。ライトノベルの文章なんてのはぶっちゃけ挿絵の解説だろ*1程度の扱いが、気がつけば活字メインみたいな話をしてるし。エロゲーもそういう文脈で取り上げられてるのかしらんと。
もしも本当にそういう傾向があるとすればですね、「テキストを主体に押し上げる運動」の中に、そのまま「テキストしか目に入ってなかったです」ていう物言いで作品を組み込むのは、大変危険であると申し上げたい。
あと、

Fate』や『ひぐらしのなく頃に』は葉鍵系の〈ハイパー・ノベル〉とは別な文法に沿うもの

は、私からすると葉と鍵もそれぞれ違う文法ですし。ビジュアルノベルとノベルADV。「葉鍵」とまとめて他を排除するのって要するに『 To Heart 』史観もしくは2ちゃんねる史観だよね。前者はテキスト主導運動前史に組み込めそうだし、後者は「ネットでお祭り騒ぎ」の流れに組み込めそうな気がします。そうすると『月姫』の系譜としての『 Fate 』も『ひぐらしのなく頃に』も同じ流れということで別に問題はないでしょう。
東センセと更科ちんは『月姫』が嫌いなだけだと思うよ。他の人が何を考えてるのかは知らないけど。

*1:イメージとしては美術品のカタログのような。絵の技術や構成要素や歴史について詳細に記述する解説文