眠い。追いつかない。消化する気にならない

TV番組見る気力が減退ちゅ。つーか普通に忙しいだけなんだけど。そのくせネットは見る。日記は書く。

AIRばっかり見てる。1話と2話のこの差はしかし。
1話はファンサービス、というか「俺が見たいものを描いた」としか言いようのないゲーム画面そのままのカットを話の脈絡を考えず強引に因果の鎖につないだ感じ。だからゲーム画面の正面向きバストカットな画像ばっかし。これマジで酔う。慣れればどってことないけど。
対して、2話はゲーム原画な絵は2、3箇所といった程度しかない。ある意味では監督が1話で全部やってくれたおかげでマンマな画面作りという無謀な試みをやらずに済んでいると言えなくもないけど。まあ、言い訳。実際にはそんなことない。

で、2話はまあ、今木さんの絶賛はマッチポンプな気はしなくもないが、完璧、と思う。エピソードの詰め込み量は1話に引けをとらないにも関らず体感時間が10倍ぐらいに延びてる。というより時が止まってる。この時間感覚は知ってる。時が過去から未来へ流れるものだということを一切認めないあの男の感覚。全てを同時に見通す、因果の概念から切り離された感覚。今木さんが宇宙人と称したアレだ。
例えば、シーン同士の連結が直結じゃない。同じ要素で連結しつつ別のことをやる。今木さんはたとえば
http://d.hatena.ne.jp/imaki/20050405#p2
>虫が窓にぶつかる音に気付いた直後には螢を見ているシーンになる、というスマートさ。
という言い方をしてるけど、例えば佳乃をめぐるエピソードを直結で処理せず、間に「学校」とのつながりから「ひゃっほーう! 国崎最高ー!」を入れる。ここで時間がズレる。このとき往人君は佳乃のことは頭から完全に外れてるし、見てる側も佳乃りんのことは忘れてる。国崎往人(つか、麻枝主人公)が目の前のことしか考えてない反射だけで行動するキャラであるってことの効果が明確に示されてる。因果関係で縛られたシナリオシーン構成を外れ、時間の意識からエピソードが解きほぐされて遊離していく。小川で遊ぶときに被せられる会話、それが何時何処で交わされたか、などという疑念はもはや意味をなさない。いつかどこかで交わされた会話、だ。エピソードを接続するのは画面の類似と要素の連続。同じ見せ方を何度も使う。絵コンテの人の日記で小津と北野の名前を挙げていたのはこういうことだったのか、と。