れっつごーふぃーばーたーいむ

http://twin-angel.com/moviespecial_04.html

 無料。1.3ギガ。フツーに可愛い。かなり幸せ。貧乏な人向け。

 ところで、「立ち絵」と「背景」のビジュアルノベルとゆーと、こーゆーワイド画面でも携帯の縦長画面でもあまり変わらないという印象がある。そんだけ構図その他の精度が低くて気にならないという言い方もあるが、画面全体を絵の構図として見る形式ではない(なくなった)から、てのが多分大きい。正確にはフレームにあたるのは「立ち絵」という少女の輪郭(正対した表情、立ち姿勢の、根本として空虚であることで世界の輪郭たりうるウツワ)であって、その外枠の四角形の形は暫定の線にならない線でしかない(枠を無効化するための背景というギミック)、てのが多分正解。本当を言うとその少女の輪郭がもっとも威力を発揮する容としての構図というのがあるのだろうが(それこそイコンやハスミ評論で言うところの小津映画の人物配置のよーな)。そーゆーの切り捨てて立ち絵をテキトーに並べてガンガン動かす路線に走っちゃった果ての現状だしなー。つくづく馬鹿な連中。

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 俺、いつも届かない対空砲火を見当違いなほうに撃つ、しかやってないつもりなんですけどもね。ネギま!の評論の未来のためとかナンカ無理筋の難癖を吹っかけて絡んでみたり、少なくとも今木さんやまうちさんに絡んでた頃、つーともう7、8年前からずーと。別に相手を選んでたつもりもないし(ハズレとゆーか相手にされなかったほうが普通に多いし)。今回については「女性を貶めるタイプのゲームをネタに展開した結果としての女性を貶めるゲーム」とゆー入れ子構造を確保しとく必要があったから、みたいな要素が新しいといえば新しいかもしれんけど。

 真の、とゆーよりか、階層構造化されるよりか並列化さして、まぁなんだ。可能な限り大勢の相互に全く相容れない利害当時者が発生するような方向のが、現状においては常に望ましいよなーと思う。関係者と無関係者の峻別じゃなくて。なぜって「俺の興味の範囲内しか興味ないし」な無関心と、無関心の正当化のための構造化と峻別こそが僕らの病だしさ。だからなるたけ「敵を作らない」ように、「同志になりうる」とかゆって連帯を求める、知識を共有しとく、というのは現実の集団訴訟を立ち上げるんでない限りは良くない一手だなーと思いますね。人間を信じてるという意味で善良だけど、さ。