雑談5

上でリンクしたのでついでに、今木さんはこの日付の文章で

『「ゲーム」的ななにか』ではなく『「ギャルゲー」的ななにか』(あるいは『分岐型アドベンチャーゲーム的ななにか』、『「ノベルゲーム」的ななにか』)であるように感じられる。

というふうに書いていて、それはまあ、『ONE』とか『Kanon』の先の見えない選択肢に重きを置いた立場からの発言なわけだけれども、この「先の見えなさ」にしたところで、どんなゲームだって最初の戦闘、最初の1コインは五里霧中なわけであり、ある程度まで繰り返し経験を積まないと見えないのはどっちも同じ。で雑談4の引用のような話へと繋がり、この文脈では『「ゲーム」的ななにか』は繰り返す経験を「同じ」と見なし、『「ギャルゲー」的ななにか』は「同じに見えてもそれらは全て1回限りの体験であると見なす」という話の流れになるわけだけれども、ここにおいて

ウィズの戦闘も経験値やお金等々の蓄積・ダンジョンの進行度合い等により、言ってみれば「順序を持ったセンテンス」であり、時間の流れが存在するのですが、その個々の判別が難しいために「繰り返し」のように見えてしまう。
id:kishiwadungeon:20051007#p2

という発言が反論として機能することになる。
さておき、こうして『「ギャルゲー」的ななにか』『「ノベルゲーム」的ななにか』を仮定しようとする立場を試みた今木さんは『C†C』で迷走してます。だからまあ、本来ならば今木さんこそが『C†C』のために分岐型アドベンチャーゲームの定義を試みようとする人の先駆者なわけであり、そのへんの解説についてリンクしてあげるのが親切なんじゃないかと勝手に思うわけだけれども。あと本来なら東浩紀元長柾木も『C†C』を肯定しなきゃいけない立場の人だかんね。