ゲームとか

http://d.hatena.ne.jp/motonaga/20090123

 リンクしとかないといけない義務感にかられたので。関連で以下。

http://d.hatena.ne.jp/imaki/20070917
http://d.hatena.ne.jp/imaki/20070918

 ひろきちゃんも今木さんも林さんもリンク先の人も(あと更科さんあたりも)、基本的には「ゲーム」という言い方を避ける。ジャンル語りに陥るのを避けたいとかゲームとは言うほど自明でないとかあるが、結局のとこ、素性のよい人は究極的に辿り付くところの「ゲームという場から何かを語り起こす不毛さ」を理解してるから、と纏められる。なので同様に素性のいい薫さんが悪い影響で「ゲーム」て物言いを使うのは個人的に嫌だったりするが。高橋直樹という人も基本的に素性がいいまま不良の真似事に憧れて順当に行き先を見失ってるのだが、まぁ置いとこう。

 で、上記の素性のいい語り筋に対し素性の悪さを隠さず登場したのが「ひぐらし」で。1作目でも作中「どこからがゲームと呼べるのか?」を執拗にとりあげ、「推理ゲームのルール」なんて守る必要あるのか、みたいにしてましたからね。この語り口は、それなりに時代性をよく捉えてる。例えば美少女系の携帯サイトで「遂にゲーム化!」なんてキャッチで宣伝してるコンテンツを開いてみると分岐も選択も何もない単なるデジタルコミック(つうかデジタル紙芝居)だったりする。

 ここではエロゲーやギャルゲーの文脈によって「ゲーム」という言葉がほぼ完全に解体され、デジタルコンテンツ、もしくはデジタルビジュアルコンテンツと同じ意味になってる。重要なのはゲームとは何かを問うことが正統な思考から見てほぼ無意味で不可能に近く「ゲーム」という単語の誤用、乱用、解体拡散に対し批判したり「これは違う」との指摘が困難な点。デジタルコンテンツをゲームと呼び習わす習慣の無制限な拡大がDSやWiiでは企業戦略的に行われている現状は社会変革の活動と呼んで差し支えない。

 もちろん「ゲームじゃないデジタルコンテンツ」なんてのはコンシューマーゲーム機の歴史と切り離せない。僕のお気に入りの警告メッセージはサターン『料理の鉄人』(ハイライトシーンの動画を収録したデータベース)だし、サウンドノベルビジュアルノベルニトロプラスあたりのそれも「ゲームではない」という開発側の発言とセットで提示されてきた。