輪るピングドラム

みてます。
二次元バリバリなのが好き。

アニメとゆーのは、「動くはずのないものが動く」とゆーのが快楽原則だと思うんですが、それによって「動くはずのものが動かない」とゆーのも出来るんですよね。

で、実写でやるのとの顕著な違いって、そゆ「動く」と「動かない」を、それぞれ細かくコントロールできるところであって、しかも「動くはずのもの」「動かないはずのもの」てのは、時代や視聴体験の積み重ねによって変化してくんだけど、それにも対応できるのがアニメのよいとこだと思ってるわけでして。

実写そっくりなCGアニメが当たり前になりつつある今のご時勢、スクリーン上で、なんでもかんでも動いたって当たり前でして、原則論にすらならないわけですが、そこで画面内でもって、いろんな「動くもの」と「動かないもの」の衝突やすれ違いが見れるのが、ジャパニメーションの良いところであり、生き残る道だと思うわけです。

たとえば、主要人物と、モブのピクトグラムとの対立とか。
たとえば、移動の際に地下鉄という閉鎖空間しかない、とか。
たとえば、移動を記号表記しちゃうぜ、とか。

だから、こんだけ、動かない2Dを強調した表現が介入してくるにもかかわらず、絵じゃなくて、マンガでもなくて、そして映画でもなくて、アニメなんですよね。「動いてるはずのものが動かないことによって動かないはずのものが動いていることが再強調される」といった感じで。

1話見たとき、あまりにも実写映画そのままであるかのような地に足の着いたアングルやカット割りやシナリオにびっくりしたんですが、ウテナのときには、こゆ感じじゃなかったと思います。もうちっと伝統芸なアニメだった。なのでウテナっぽいとは思わないです。

こゆの見てると、「動かないはずのものが動く」という、否定表現が根っこにくっついてて、本来なら「表現」である以上「創造」でないといけないのに、創造であるにもかかわらず否定の要素を切捨てられないとゆー、根源的にねじれた味わいがアニメなんだよなーおもしれー、とか思います。人の手で「命」を吹き込もうってんだもん、そりゃ背徳じゃなきゃ嘘だよなー。

んじゃー、おやくそくで、
せいぞんせんりゃくー。