キック・アス

 おいらのゼロ年代(とゆーか21世紀)スタートはセガサターンKanonの年越しプレイだった http://d.hatena.ne.jp/tdaidouji/20060223 わけですが。

 あれから10年経ちました。2010年もあと少し、おそらく、この10年間一区切りの最後に見た映画が、キック・アスということになります。

 日本産の戦争映画のウェットな駄目さ加減に絶望していた人が「硫黄島からの手紙」を見てしまって、なんで日本人が日本人の戦争映画を作れずにいるってのにアメリカンが日本人の戦争映画を作れちゃうんだよ、と泣きながら訴えつつ映画を褒めずにいられない感覚が、おいらにも少しわかる気がしました。

 なんで日本人のオタクがこれを作れないんだと言いたくなるぐらい、これは、俺の俺たちの俺たちオタク(かなりごく一部)の映画です。1960年代に世界の若者は同じ時代を共有していたんだよなどとビートルズを知らなかった紅衛兵をまるっと切り捨てた発言せずにいられない団塊世代のオヤジどもの傲慢さになけなしの理解を振り向けたくなるぐらいに、この映画を作った奴は、2chとかふたばとか、はてなダイアリーとかkagamiさんの好き好きお兄ちゃんとか、痛いニュース以下まとめサイトとか、アシュタサポテとかCLOSED LOOPとか死エロとか見てんだろ、とゆー痛々しくせせこましい同意を求めずにいられないほどスポットな共感ツボを揺さぶってきます。本当の意味での共感なんかじゃ全くないあたりが、ソレっぽいんだよ。ナデシコでありコスモクリーナーであり秋葉の歩行者天国であり、なんぞその他いろいろ。

 とりあえずえー。俺の俺の俺の社会福祉公社が、ほぼ完璧に実写化されて帰って参りました。体格にあったサイズの銃器しか使わないとゆー嫌らしく忌々しいアメリカナイズなリアリズムにソフィスティケートされてるのが不満ちゃー不満かもしれんが、しかしだからどうした? ああ、あっち方面はセカイ系の厨二決断主義とかフォーマット通りにゆーんだろうねえ。言えば?

 全くもって実に正確な距離感。同じコミックカフェでたむろってても主人公サイドはアメコミでガールフレンドが読んでるのは少女漫画(あのへんの少女漫画はつまり日本の少女漫画です)。あのズレ。ジャンク・カルチャーってのは文字通りジャンクでしかない。言いつくろいようのない、言いつくろう態度を嘲笑うしかない、言葉を際限なく引き延ばし続ける態度への、FUCKOFF。決断とかね、そんな真っ当な意志のあり方の問題なんぞじゃないんだよ。だって、ジャンクはジャンクだからさ。