@oyomot: 哲学語りで思い出したが、マトゥーラさん元気かなあ。なんかナポレオニックの大家扱いになってると風のうわさで聞いたが。
@oyomot: セカイ系、という単語で内実を無視して外枠を固定しちゃって語ることによる、まるでレイアースとか東京バビロンとか聖伝とかを脚本をそのまま読み下すことで解説してることになってるっぽい感、といって、理解してもらえるだろうか
@oyomot: 少女漫画の影響を受けてるとか、少女漫画の手法を取り込んだうえでどうこう、というよりかは、少女漫画の方法論が全く咀嚼されずに単に粗雑にブンブン振り回されてる感というかな。セカイ系という単語を使って物事を描いて見せるひとたちの遅れてきた大川七瀬感たるや、みたいな
@oyomot: 思っていたのだが、そのあと時代はCLAMPが狙った方向に綺麗に沿ってて、なんつうか、エヴァがセカイ系でどーこー、とか書かれると、いやなんつうか、そういう話だと、まさにCLAMPの描くマッピングじゃん、みたいな感じであり、そこらへんがいちばん理解に苦しむとこだったりする
@oyomot: なお俺においてはCLAMPというのは「少女漫画文脈からスピンアウトしてた同人な意匠の語り口を意図的にこじらせることで武器にしました」的な扱いであり、いちいち策略じみていて(それでいて少女漫画の正義は無邪気にふりかざす)、真面目に相手するものではないと思っていた
@oyomot: 哲学語りをしたかったんじゃー、俺は哲学なアニメ語りもエロと均等に大好きなんじゃー同時に語りたいんじゃー、という人においてはCCさくらは哲学語りの対象になるのかどうか、とかそのへんは聞いてみたい。単に幼女ハァハァ以外の感想はありません、なのかなあ
@oyomot: セラムンは大きすぎて扱うに困る、って感じだろうと思うんだが、セラムンよりか遥かに小粒で、しかもサブカル語りに親和性が高いだろうCLAMPは、親和性の高さゆえに忌避されるのか、それとも特段に大きな扱いをするまでもない平坦なラインの一部でしかないと見なされるのか
@oyomot: まあ、社会人の社交場的ななんぞ、と考えれば、そういうもんなんだろうなあ、と納得はするのだが
@oyomot: うーん。ドクター秩父山は笑いながら読んでいたのだが、手塚パロ路線以降は、なんつうか「昔の漫研の同人誌でよく見かけたような」という形容以上のなんぞには見えないとゆーか、ぶっちゃけ、いかにもネットコミュ的な内輪受けな感じしか受けないのだけど