名指してんのはナニ

 時系列で語るという手法は、わりと大変な困難をともなう。なんとなくの、このあたりから開始する、このあたりで終わる、というような切り方の根拠が、すごく不明瞭になりやすい。

 1990年あたりから2010年まで、のような区切りは、当然1990年以前、2010年以降という外部を指し示すことになる。ナントカ年代、という言い方をする場合は、その、いっこまえ、にこまえ、の時系列を指し示さないといけないし、それ以後を指し示さないといけない。そうやってくと、結局のとこ、背後に想定されてる枠組みが問題になってくる。

 で、今回の新書本の背後の枠組みは、日本オタク史、のようなのがわりと自明視されてて、そゆ中でしか、話が進まない。

 この本の根幹になってるエバ。エバのブームはオタクさんの外側に波及したからブームだったのだが、この本ではそういう見方はカットされる。オタクの世界の中の一大事件としてのエバ、という話で終わる。つうより、エバからオタクに入った若者といわれそうな世代であろう筆者からすると、エバにはまる=オタクになる、なのだろうけど。

 なので、オタクの世界の外側でエバの影響を受けたであろう様々、たとえばTVドラマの演出、バラエティ番組や深夜の企画番組なんかの演出なんかは割と顕著だろう、みたいのは、ざくっと無視される。あのBGMをバンバン使ってたら、いやがおうにもエバっぽさはまとわりつくだろうが、それも気にしない。TVドラマがマンガ原作ばっかになったのはどのあたりからだろう、とか、実写映画製作者がアニメやコミックの影響を隠さなくなったのはどのあたりからだろう、みたいな話も、けっこう、エバがブームでオタクがブームで(日本全体の傾向としては不景気のままで)、というのの絡みだと、大事じゃなかろうか。

 で、そういう話に展開してはいけない政治的な理由が、この本には、ある。

 オタク業界のジャーゴンが外に輸出されてることに、やんわり釘を刺して、オタクの中に話を戻そう、みたいなやり方で、その越境の手法をやたらに使いまわす人たちを牽制するため、話の枠を広げちゃいけないのである。

 なので、この本は、すごくセクトじみてる。もはや自分が帰属意識をもってるわけでもなかろう、オタクの上の世代の枠組みをこれみよがしに踏襲してみせつつ、話をコントロールしようとしてる。そゆのはもっと削るべきだったし、さらに言えば、時系列で語るような手法を採るべきか否か、もっと熟考すべきだった。