つづき

 ネタバレ全開だよ。

 で、暗闇の中で椅子に座って延々とストーリーを「語り」の形で展開したのち(手抜きと言われても仕方ないというか、実際、間に合わなかったとこも色々あるんだろうなと)、文明崩壊して荒廃した風景の、ワールドマップを、自機で自由に動きまわれるようになる。

 個人的に今でも吹いてしまうのが、ここ。ずーっと、まんまTVエバ最終話のパクリな「暗闇に椅子」をやっといて、そんでさあ文明が崩壊し終えましたので、どうぞ「自由」にマップを移動してくださいという、底の抜けた感覚。そんで荒涼としたワールドをロボで移動し、ランダムエンカウントする、使徒っぽい、とゆーかまんまな、天使な敵キャラ。エバが終わったらバスタードが始まった、みたいな。

 製作予算や期間の節約のために「暗闇の中で椅子」が、TVエバのああいう演出に至った第一原因である期間や予算の不足を補うため、というのを正統に受け継いでて、それがあまりに可笑しい。そこで既にTV版エバにあった、アニメ業界の積年の歴史の果ての陰鬱さ、退廃気分を背負ったようなとこからアッサリ抜け出していて、ゲーム業界の人たちの、あっけらかんとした前向きな姿勢を感じてしまう。

 そう思って振り返るに、暗闇の中で椅子に座ってても、さほどに自己をほじくりかえすでもないというか、きっちり「現実でのストーリー」も椅子フォーマットで進行してく可笑しさ加減に改めて気付くわけです。これはTVエバ最終回さえも、「流行で面白いから採用しちゃえ」という、エバ的なるものを単なるネタとして消費している、そういうノリを感じ取れるわけです。

 そうやってゼノギアスに採用された、もろエバエバしいガジェット群には、昏さが全くない。ゼノにおいては、エバ的なものは、すごく前向きな意味で「面白いから入れちゃれ」的なガジェットとして扱われ、その意味でもって普通にエバエバしいとされるブームや評価からかけ離れてる。どっちかつーとモロに厨センス。すくなくともシンちゃんやアスカのアレな病気度からはかけ離れてるし、その意味からも、今回の新書本の範疇からはかけ離れている。

 あたしはゼノのそーゆー能天気さを見ると当時のゲーム業界のクリエイターの若々しさというか、アグレッシブな姿勢が感じ取れて、いいなあと感じます。

 こんなんでいいですか。