買い物は日常か非日常か

「信用の収縮」てな言い方をするときの「信用」はギャルゲー風にいうなら奇跡だ。僕らは日々数え切れないほどの奇跡の先にいまここにいる。けど滅多におきないから奇跡っていうんですよ。奇跡は一度しか起きなくてどこかで代りに誰か不幸になってるかもしれないんです。この「一人分だけしか奇跡が用意されていなくて他の人の分は奇跡はなかったんです」というテーゼの共有が、サブプライムローン不良債権を抱え込みました、もう世界中の金融機関は再編されなきゃならなくて勝ち組しか生き残れないんです(一行しか助からないどこが潰れるかわからない金融恐慌)状態を指す。

 今日、鮭弁当を買ってくれたお客さんが明日も鮭弁当を買ってくれるとは限らない。毎日、継続的に買い物してくれる客とはありえない奇跡の連続だ。けれど奇跡が毎日続くと奇跡じゃなく日常のような気がしてくる。ある日突然にその客が鮭弁当を買わずに帰ってしまう。一個だけ残った鮭弁は日常の崩壊だろうか。日常が日常でなくなるのが怖いから、フランチャイズ本部はフランチャイズオーナーがフランチャイズオリジナル商材を買い続けるよう、契約の言葉でオーナーを捕らえようとする。言葉で絡めとられた買い物の関係はもはや奇跡ではない。契約の文面、それを僕たちは主人公とヒロインの物語と呼ぶ。それでも奇跡を手元に引き寄せておきたい衝動は抑えがたい。

 人が物を買うのは日常か非日常か。