てきとーに捻れば何の違和感も生じないと思う

 音のきこえなくて、いつもスケッチブックを持ってる少女がいて。

 んで、マイクに話しかけると「?」とあうあう顔をして、身振りで「きこえないんです」と何とか伝えようとし、んでスケッチブックをこっちに差し出す。そうすると下画面のとこにスケブが示されて、そこに、大きくひらがなで「はじめまして」と入力していくと、にこーっ、とか微笑む。

 そんなんだったらガタガタ抜かしてる人たちもあっさり陥落するんでないだろうか。

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 追記として。

 いつも言ってる/書いてるつもりだし、昔の人は誰もが了解してたと思うが、ONEの偶発的な文学性だか作家性だか個性だかの発露については、RPG作ったりミニゲームに注力したりもはや誰もが周知の「麻枝准の<ゲーム>への傾倒」が、<シナリオ読むだけ>のビジュアルノベルToHeart」から無理筋を押し通して「文章だけでゲーム性の発露」へと繋げようとした、その捩れによって多くの人の目に触れるような形で仕上がった(模倣から逸脱へとゆー言い方をしていたな、今木さんらは)のであって、なんか最初から「読み物」をつくろうとしてみたり、製作環境に余裕が出てゲーム性のあるミニゲームをシナリオと別途に用意できるようになったら、シナリオ単体に衆目が理解できる形での「麻枝准の作家性」なんてのは出てこない。

みつめてナイト」の「ときメモの形式でやたらストーリ偏重」にしても、センチメンタルグラフィティのヒロイン描写とゲーム性のアンバランスによる破綻にしても、ゲームデザイン(システム)の要請するシナリオの流れと、それに抗うシナリオからのゲーム性への到達(小説とはゲームである、と大アリクイせんせーも言ってたが、これはそーゆーふうに捉える)は、ルールの了解をイチイチ読者に糺すような文章だだもれで垂れ流して成り立ってるものじゃない。

 なんか今さら「ギャルゲーム性」などという懐かしいワードを蒸し返す人がいたが、あれは「ゲーム性」をひたすら矮小に、もしくはひたすら無意味に拡大解釈していく、そーゆー「ゲーム」なるものへの雑な態度を指してたつもりだ。言った本人としては。当然、「二次元の少女に思い入れること」がまるきり「ゲーム」になっているという批判の意味も含む。

 今回のは単に「スタンダードから距離を置いたスタンスの作りがすき」とゆー高2病精神の表明というだけの話なのでとっとと終われ。