@oyomot: 奈須きのこというスターを演出するためのビジュアルノベルという手法だったにもかかわらず、どうもこう、奈須きのこの文体を、映像演出が追い出しにかかってるようなのが、どうすんのかなこれから、と思っちゃう次第
2012-11-30 02:35:42 via web
@oyomot: まほよはね、「不自由な立ち絵芝居の制限を逆手にとった、すごい演出」であることは確かだし、そこから生み出される効果(必要以上に抑え込んだ画面から滲み出る黄昏感というか寂寥感というか冷え込んだなんか)はあったと思います。が。むつかしいね。あれはオンリーワンだと思うしね。
2012-11-30 02:33:04 via web
@oyomot: キャラ小説だからキャラ提示するには映像があったほうがいい、となるかもしれないけども。一方で、単語でイメージをぱっと掴んでく手法に対して、映像を強化する方向性、これ、微妙にずれてるよね、てのはFateでけっこうあったのだけど、まほよもまさにそんなんで
2012-11-30 02:25:34 via web
@oyomot: これはFateの時点でそうなりつつあった。もともと、奈須の文章は視覚になんないような、抽象的、観念的な超能力を多用してるのでも判るように、言葉のイメージが大事であって映像を提供することがそのまま質の向上になるわけじゃないという面があって
2012-11-30 02:22:22 via web
@oyomot: その労力に惜しみない賛辞を送るものではあるけども、手放しに褒める気にもなれない、というのが、まほよについて感想を上げづらい理由のひとつ。もうひとつは映像演出を研ぎ澄ませて高めていくほど、奈須きのこの文体が邪魔になる問題。
2012-11-30 02:19:38 via web
@oyomot: 遊園地のシーンなんかは良かったと思うんですけど、あれはカメラアングルがどーこーじゃない。むしろ紙芝居的影絵芝居的な演出を高めく路線。普段の会話シーンとかで、キャラの立ち絵を不自然じゃない形に画面に収めるかという試みは、上手くいったと同時に窮屈さも感じさせるものでね
2012-11-30 02:17:39 via web
@oyomot: カメラワークで演出効果をあげて、というふうに見るには、ちょっとこう、苦しいんですよね。立ち絵の限界を誤魔化すために、表情を画面から外すことがけっこう多かったりしてさ。普通に「映画のカメラアングル」だったらキャラのバストショットでいいところを、そうできないでいる。
2012-11-30 02:13:21 via web
@oyomot: まほよについては、カメラアングルは、なんつーか苦肉の策が実をつけたとゆーかんじでして、というのは、「立ち絵と背景の組み合わせというノベルゲームの形式を使って、どんだけ無理のない構図に落とし込んでいけるか」という命題を解決するためにカメラアングル駆使してるのであって、(続く
2012-11-30 02:11:00 via web
@oyomot: はてな文化すごいんだなと遠い目に。しってるか。むかし「オレ達がやってきたウェブ日記という伝統を無視してアメリカのブログとかいう単語を輸入して吹聴してる奴らがいるのは許せない」とかゆってるひとがいたんだぜ、などと呟いてみる。ひっかかるひといるかしら。
2012-11-30 01:48:33 via web
@oyomot: そーなのかー。>「kanoseさんとかに☆もらわないと村民じゃないとかって暗黙のルール」URL
2012-11-30 01:37:41 via web
@oyomot: ははあ。>「自分が痛い人なのを棚に上げて人をdisるような人間ならば」URL
2012-11-30 01:35:49 via web
@oyomot: 募金団体は、基本的には寄付金の半分ぐらいは組織運営に吸い取られると思っとかないといけないとゆーことですかね。日本赤十字も天下りで批判されてたりするし。セブンイレブンの緑の基金も理事がなんか沢山いるんだけど、あの理事たちはいらないと思うし。
2012-11-30 01:21:45 via web
@oyomot: おう。リンク先よく見ると酷いな。
2012-11-30 01:16:57 via web
@oyomot: 国境なき医師団は、うちも寄付したことがあるんですけども、URL とか、URL とか、批判もあるようです。
2012-11-30 01:15:59 via web