第一世代と特権意識

 なにがしかの嗜好について、なんでも最初に食いついとけば第一世代ではあって。それが第二世代や第三世代にまで継続してくだけの広がりを持ちうるか、てのは、凄い、と言ってる人たちの布教の頑張り方(打ち切りアニメを署名で映画化とか)ではあるだろう。数で押し切るところの代表であるような署名運動は個人的にはどうしようもなく嫌で、だから森生まさみ第一世代とか乃木坂春香の秘密第一世代とか、そういうものにはなれそうにない。さらに言えば署名運動も嫌だが特権化するのは余計嫌で、数に物をいわせるのは嫌だが多数派に属していたい気分はより強く、自身が多数派であると確認したときしか僕は基本的に文章を提示しない。多数派=真実であるのだから何ら問題はないのだが、真実を虚構に仕立て上げ多数派を少数派であるように語り、少なくとも10年をこす歴史を持ち裾野は広がりライトユーザーにまで充分に浸透した習慣と効能について変態を称しユーザーを囲い込む行為には違和感を持つ。精神性ばかり強調すれば何故ガンや肝硬変が治るのか、なぜ優れて飲用に適するかについて目を逸らさせ規制派の助長にも繋がりかねない。そもそも飲尿は純愛描写として展開している。キスのイメージがダイレクトな性行為より「純愛」に近いと通念上みなされ(口吸が実際に公共の場で実行すれば公序良俗に反し、かつ繁殖に直接は全く関係ない行為であることを誰もが了解しつつ)ゴールデンタイムに放映してもクレームがつかないのと同じ道をたどろうとしているのであり、それを先に見出したという理由で変態行為として特権化する「第一世代」の態度は許容しがたい。本来的に純愛に帰属しエロティシズムに一定の距離を置く尿描写をポルノグラフィとしての囲い込みに帰属させることはニッチ化の固定に他ならず、日本においては役所の許認可を盾にする、いわゆる早い者勝ちの許認可産業での既得権益の囲い込みに繋がる。やせ衰えていくものを食い物にするハイエナ連中はエロゲ屋だけで充分だ。