種村有菜『絶対覚醒天使ミストレス☆フォーチュン』

 勢いで人に渡してしまった後、やはり読み返したくて二冊目を買った。エロゲと勘違いされそうなタイトルも、タイトルにつられて突っ走った「スーパーウルトラBIG最新作!」という帯も、月夜に照らされるとキラキラ輝く表装も、勿論ヒロインの妃も、抱きしめたくなるぐらい(そして両の腕と胸の空隙に言葉にならないなにがしかが絡めとられしめつけられるほどに)好き。

 経験したものでないとわからない、という物言いが嫌いだ。「同じ経験」をした俺なら判る、理解できる。<同じ>だから<理解>できる。鬱陶しい。社会人になれば/働けば/異性とつきあえば/失恋すれば/信じれば/愛すれば/泣けば/笑えば/やってみれば……それで何かを見出しうるのか。映画館で映画をみなければわからないことはただ一つ、いま映画を見ている自分をどこにおいても再現などできないということだけだ。

 だから妃は「わかる」と言ってのけるのだ。銀色の独白にただ必死に応えるために。俺の孤独はお前なんかに理解できない。だからどうした。そんなものはせいぜいWEB日記で吐き捨ててネタにして自分自身で嘲笑をなげつけてやればいい。親が死んだ。家族が破産した。失業した。うつ病だ。戦災孤児だレイプだ生活弱者だ。その事実でもって何かを理解できるとでも。それで判ったというなら、そのとき世界の半分を切り捨て見えなくしているだけのことだ。

 ごはんを炊こう。電子ジャーで、妃のように。「わかる」「だって、私も、ごはんを毎日炊いているのだもの」「だからわかるよ」