かみさまがたくさん

神のみぞ知るセカイ」のデスノ引用について言えば「モニター越しの人物」をデスノは干渉して殺し、「神のみぞ〜」は触れえぬまま「救う」、その対比で、そのような現実と虚構をきれいに区別しながら虚構しか見ない人はサイレントマジョリティとして潜伏し世界の基調をなしてる。彼らは「創造」とか「社会参画」に寄与しないので統計解析から切り捨てられるが、実際は人口の大多数の生き方だ。

 では実際に彼らがどういうふうに生きているかというと、ごく当たり前だがノイズのような生き方をしてる。つまり数値化も合理的説明もできない。現実を捨ててるんだから現実に根ざした合理性と相容れないのは当たり前。

 一方で言葉がノイズたりえなくなってる、便所の落書きと言われてたはずなのに小女子焼き殺すと書いたら罪になるのは殺すという文意が殺す殺したという事実の発生と不可分に繋がってしまったということで、モニターの虚構性てのと対照的だ。つまり、現実と虚構の区分がただ一方的に曖昧になってるという物言いは全くズレてて、ごくごく自然に現実と虚構とやらの線の引き直しと再配置が進行してる。まぁここまで書いといてなんだが現実と虚構という物言いもアレだ、キモい。

 そういや自称神が目立つ。しょぼい割に神つー話を「俺正義」とみなすというのは何かいろいろ抜けてないか。ギャルゲー神とナギ様とホロとキラはどれも神なわけだが、ホロはあれか。「俺、最強!」とかゆってるのか。よく知らんが。やおよろずな日本的神様観でデスノを見るならキラを神と崇め奉るとゆーのは割と最初からニコニコや2chに降臨する神と同レベルという部分で通じてる気がするが。ベルダンディーの「女神」とホロやナギ様の「神」って割と響きが決定的に違うという話を。