スカイクロラ

 男の子たちは「うる星」の何を見誤ったんだろう、みたいなことが何となく頭の片隅にあって、フラフラと21時のレイトショーに並ぶ。

 んでシネコンの席についてから今日は4時半起床で前日に寝たのは2時で夕方まで12時間殆ど運転しっぱなしだったことに気付く。尤も、そのうち1時間半は加須に寄ったついでに近いからつって鷲宮神社を見に行った往復が含まれてるが。真夏の平日の昼間ということで人は少なかったが神社の駐車場に痛車が数台並んでた。のだが、らきすた車は一台ぐらいで他は全部Keyのステッカーが貼ってあったのが自分を差し置いて(ノ∀`)アチャーみたいな。とりあえず、鷲宮神社は「らき☆すたの聖地」じゃなくて「京アニの聖地」なのだな、鍵っ子はビジュアルアーツじゃなくて京アニ支配下にあるのだな、てのを視覚的に確認した次第。

 で、睡魔に引っ張られつつ視聴。眠たい内容だったがそれ以上にやたら派手で判りやすかった。イメージ的にはファンサービス番外編OVAというか東映まんが祭りで上映されるTVアニメの劇場版というか。押井まんが祭り。あんなキャラこんなギミックそんな退屈カットが大活躍だぜ。

 あ。なんか全部を言い尽くした予感。

///

 あと、別にコレやコレの監督に限った話じゃないのだが、映像なるものへの不信が伝統として非常に根強くあって(あるいは「主に対して不信を持つ」という文化制度が全てに優先して適用されるようになってて)、その不信に根拠を置いてしまうのがアニメや低予算映画みたいなB級映像文化の「自立」する手段なのだなと改めて納得する。

 作る側と読む側との間でその「不信」を共有して遣り取りするのは別に悪いわけじゃない、とは思うが。その共有言語は外には向かわないし、共犯意識を明確に持ってないと題材をスケープゴートにして腐らせるのは、誰かが言っとくべきなんだろうと思うので言っとく。「うる星やつら」の劇場版の話をしてますよ。