著作権のない世界

ヴァイオレット・エヴァーガーデン劇場版を見る。

TVアニメも特に思い入れもなくというか、むしろ京アニ相変わらずイマイチだなと思ってみてたので、期待せずに見に行ったら割と見れた。

「思ったより面白かったじゃん」と思って検索したら「お話としてはイマイチ」評が割と目立ったので、そっかみんなそれなりに期待して見に行ったり、あるいは京アニ追悼で普段は見ない人も見に行ったりでハードルが上がったのかなと推測した。

さてTVアニメの時点で登場人物の造形にも行動にも過剰に装飾的な作画にも不満たらたらだったので、映画をわざわざ見に行く時点で登場人物の行動に今さらケチつける気はない。

映画の中で事件がほぼ何も発生しないのについては、ちょっと大したもんだなとはなった。いい意味ではないが、かといって悪いとまでも言えない。劇中で作劇に足るような何も起こさないのは普通に言うともうどーしよーもないわけだが、そういう素材を無理くり選び取ったんだからまあ文句言う気も起きない。何も起きないのをどうにかして何か起きたことにするために語り部を用意するのはそういえばガルパン劇場版もそうだったのでアニメ演出に自由に暴走させても帳尻をあわせるための吉田玲子の定番形式なのかもしれない。

あえていや、「すごく有名な代書、代筆」という設定が、今となって、京アニを襲った事件と合わせて京アニの立ち位置で仕事してるアニメーターたちを連想させた。

 

代書屋は当然ながら著作者じゃなく、文章の意思や主体は手紙の差出人のもの。一方で王家の婚姻の公開書簡の話に代表されるように代書業の作文技術は金を出す価値を認められ巷間名前を知られもしてる。この設定は主人公の文章技術はあるけどその意味を理解しない感情を欠いた人格という設定とも重ねてるから意図的なものだろう。

また一方、戦争で両腕を失ったために手書きで字を書くことが出来ず義手でタイプライターを使う設定は「この世界の片隅に」のそれを連想させる。映画では右腕を失った人物にやはり代筆業をさせてしかもペンを持つ手を左に変えてもなお筆跡から特定個人が見出されてしまうあたり、設定レベルではこの対比は意識的にやってるはず。

さらにダメ押しとばかり、映画の中で代書屋から脚本家(おそらく著作権を主張できる)に職替えする人物が登場。

なのだがしかし、上記の設定付けがなんかストーリーに生かされてるかというと、特にないんだよね。映画はそもそもストーリーが用意されてない。 手紙から電話へと時代が変化してくみたいな舞台をぼやっと用意はするが、映像演出の都合もあって見せ場はだいたい手紙も電話もうっちゃって人と人が直接対面するので意味がない。手紙を通した人と人とのコミュニケーションの部分は一見すると話の主筋なのだがおざなりだ。雑すぎる。感動して涙を流せばいいってもんじゃねーぞと皆が思う。

用意された設定の指し示したいとこは主体的な人格を欠いた書く技術、それも手書きですらない、タイプライターを通して書きつけられた「文章そのもの」という殆ど観念的な領域に近いナニカだ。ここらへん、集客力を確保しなければとベタな泣かせに寄せたい気分と作品の向かいたい先がかみ合わずに衝突しクラッシュしてる。

京アニの事件で思うのは著作権のことだ。犯人は自分の創作にアイデンティティを見出し京アニが彼のクリエイティブを盗んだと思い込んで凶行に走った。一方で京アニもまた、権利をろくすっぽ持ちえず常に下請けでしかないアニメ制作会社の限界に苦しみ、自分が著作権を持つ作品を求めて小説レーベルを立ち上げ収益のための権利確保を目指した。言っちゃなんだが京アニが自前で原作収集なんてやらなかったら両者は衝突しなかったかもしれない。京アニがアニメーターにまともな給料を払おうと思わなければ彼らは死ななかったのかもしれない。ねじれた妄想ではあるが京アニの社長さんなんかこの先ずっとその手の自責に追いかけられ続けるのではないかと想像したりもする。ついでに言えば優れたアニメ演出家、アニメーターが映画監督となったとき、自分で脚本まで担当しちゃって惨憺たる内容の新作を発表してしまう界隈も連想される。

自分はネットでなんか余計なことを書くのを覚えて早々に自分のオリジナリティ、著作人格なるものを自分の中から追放し放棄してしまったので権利を巡る闘争の傍観者でしかなく、そういう立ち位置からすると著作権というカネと自己の存在証明をめぐる血塗られた呪いは愚かにも見えるし辛くも見える。しかも自分は降りたと自称はしてみるものの、時代と世界はネットの泡沫のぞんざいな書き込みにずいぶんな比重を見出し絡めとろうと迫ってくるので無視もできなくなりつつある。99.9999%がコピペでしかないのに責任を勝手に着せられるしかなく、ならばと権利を声高に主張しなければ縊り殺されるだけとあっては著作権なんぞシラネと言い続けるのも限界だ。

銃夢ガリィのただ一本の純粋な刃、ですらなく。ただタイプライターを打鍵する作文業。その姿を序破急をつけるでもなく起承転結まとめるでもなく、ただそういうものがあったと指し示すだけの映画が遺作となった「著作者」ではないアニメーターの方々。

まあそんなことを連想しました。オチはない