処理がやたら重くなったが、別の話

http://storybook.jp/positlog.cgi?load=070603Kj&id=sprite_20070610102301_040

http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/comment?date=20070520#c

 なけなしの良心を動員して上記二つを並べておく。もちろん僕は昨日言ったことはすぐに忘れる。

 さて、換言するとCGは「光と影の芸術」ではない、という話になるのでしょ。遡ればフィルム撮影とビデオ撮影の違い、映画館とTVの違い、まで行ける筈。京アニAIRのコメンタリーでも映像を作るときは個々のモニターの状況まで本当は気にしないといけない、みたいな話をいまはなきヤマカン氏らがしてました。

 まあ実際、MMORPGで考えたって個々のPCの姿を追いかけられるようにすると構図を完全に自由には出来ないわけで。そのへんは三国無双につながるゴチャキャラ戦闘の系譜を追いかけるべきなんでしょうけど。光源よりはキャラクター単位で目立つよう発光させるというのは妥当な結論に見える。リアリティの位相が光じゃないから、光らないものを光らせていい、むしろ光らないとこっちまで届かない、という言い方でも可。

 んで、パックマンデザイナー岩谷徹氏のディスプレイ万能主義、という言葉を思い出すわけですが。リアルタイム描画とのワンセットで語ってまして、例えばMMORPGやそれに前後する系譜において、画面の向こうとこちらが同時、リアルタイムであることがリアリティの基礎なんだよね、つまり。視覚は光源と物質とに依存してるんじゃなくて、リアルタイム、絶対時間に依存してる。視覚のイリュージョンが溢れかえってて距離感があやふやだから絶対時間が最後のよるべ、でも可。んで、時間から逆算されて質量が作られ、空間が作られ、最後にようやく空間を埋めるものとして風と、そして光。

 ちなみにFF12FF10とは描画の質がかなり違ってて、まるきり別モノに見えます。PS2発売したばかりからPS2が役割を終えるまでの8年の歳月と、MMORPGというムーブメントがあるわけで、当り前っちゃそーなんですけど。

 どう違うかは、下の見てみて。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm95788
http://www.nicovideo.jp/watch/sm113390
http://www.nicovideo.jp/watch/sm321064
コンサートさいっこー。