けいおんのけの字も知らない人を映画館に連れて行くべく、「けいおん!」解説を試みる

 題目の事情に対応しなければならないため、いろいろ後回しにして書かせていただきます。該当する人、別段、無理に読まなくてもいいよ。

  • とりあえず押さえとくべきポイント

 昨今のオタク系のコンテンツとしてみた場合、角川系列じゃない、というのが指標ではないでしょうか。

  • 萌え4コマというジャンルについて

 現状、日本においてマンガは欠かすことのできない産業であり文化です。が、マンガ業界は不況です。言うまでも無く不況のマンガ業界でコミケに代表される同人誌文化圏は作家の輩出元として欠かせません。昔だとエロ漫画や専門誌付属マンガみたいなサブジャンルからのコミケ系作家デビュールートが大きかったのですが、同人文化圏の拡大とマンガ業界への浸透の流れの中、萌え4コマというジャンルが発見されます。4コマだと背景にそんなに力をいれなくていいし、コマ割や構図の技術とか足りなくても描けるし、同人に手出しし始めたぐらいの人が描きやすいし、商業化するのにもコストが安い。まだ技術足りないかもしれないが、ちょっとセンスのある若手を拾ってくるのに適してる。
 てゆか、大雑把に、昔はエロ漫画つったら劇画しかなかったのが今はエロ劇画が壊滅とゆーマンガ業界の変化が、遅まきながら4コマ業界にもやってきた、という程度に考えておけばいいです。

 日常系とか空気系とか、マンガ評論な人らは好き勝手に言っているんですが、4コマなんて昔からサザエさんとか少年アシベとかコボちゃんとか、そーゆーものです。あずまんが大王が大成功した系譜があったとか、らきすたがヒットしたので脚光を浴びたとか、というのは間違いじゃないんでしょうが、実際に読んでみると、言うほど日常でも空気でもない。てゆか、普通のストーリーまんがで描いても良さげな程度にストーリーが進展してく率が、サザエさんなんぞのイメージよりかは、はるかに高いです。くだんの「けいおん!」にしても、けっこうストーリーが進みます。

 つまるところ同人作家を捕まえてきてコマ割りとか背景とかに力を入れずにマンガを描かせたのが萌え4コマなのであって、中身はサザエさんみたいな古典的4コマであっても、4コマだと迫力に欠けるけどストーリー展開するんであっても、どっちもあり。4コマという単調なテンポの形式にあった内容として、ドラマチックじゃない、ささいな出来事や、他愛のないやりとりを上手く取り上げる作家のほうが向いてるというのは確かですが、まんが評論な人がいう「日常」とか「空気」とかは、そゆのが描けるハイセンスな人を持ち上げるためのキーワードであって、それも、あくまでガンダムとかのSF戦争モノや、あしたのジョーとかの命かけてのスポーツもの、ジャンプのバトルもの、とゆーのと比較して、つまりコッテリな過去ヒット作と対比して「日常」「空気」とゆってるんで、萌え4コマと括られるジャンルが全部「あずまんが大王」みたいな代物であるというのは、間違いです。

 そもそも、バトルシーンがきっちり描けてるぜ、作画が細かいぜ、みたいな受け方をしてるところですから、京アニが扱うと、基本的に原作よりコッテリします。恋愛エロゲとか萌え4コマとか、ロボットものほど盛り上げるポイントが判りづらい代物を扱う手つきにおいて、京アニというコッテリ志向は、「派手じゃないものを派手にする」というやり方で、一般受けするのに丁度良かった。そのため「けいおん!」原作ファンがアニメを「原作破壊」として批判するのも、わりと見かけます。

けいおん!」第一期は、明らかに予算少なめ(動画抑え目)でしたし、第二期を作るのを想定した内容でもありませんでした。実際、かなり無難な作りです。ハルヒで好評を博した楽器演奏シーンが深夜アニメ青春モノで繰り返され定番化してる中、「ハルヒ京アニ」として、動画の売りはオープニングやエンディングでの楽器演奏でしたし、物語のクライマックスは学園祭のバンド演奏でした。原作のチョイスも、4コマ女子高生もの「らき☆すた」が「等身大の女子高生を描いて同じ世代にヒット」した後、また芳文社まんがタイムきらら」系の「ひだまりスケッチ」が成功したTBSでの製作ですから、いかにも通りやすそうな企画です。売れないものを出す気はないわけですが、狙いどころとしては堅実な小〜中ヒットぐらいを想定していたように見受けられます。第二期はうってかわって全力投球で作られるわけですが、ハルヒの第二期を大外ししちゃったから製作の軸足を「けいおん!」にシフトしたんじゃないのかな、と勘ぐりたくなるような豹変ぶりでした。

 評論化筋がいうほど「日常」という要素が受けてるわけではないです。というか、基本的には一定以上のマスの客はいつだって派手な舞台やドラマを求めてるものです。
 言うまでもなく周知のこととは思いますが、「女の子の可愛らしさ、セクシーさ、萌える度あい」を競ってる作品について、評論ぶって偉そうに言わなきゃいけないときに、「日常」とか「空気」とか使うんですが、最近はもう単語が一人歩きして、4コマだから日常ものと呼んでおけば大丈夫、のよーな感じです。

 アニメ化が結果として変則的です。第一期は1クールで高校生活の2年間を駆け足に描写しており、スローテンポのガールズトークなんてのは少な目ですし、日常描写よりは主人公である平沢唯の部活動を通した成長物語としての骨格を重視して構成されてます。原作にないシーンを拾ってみると、感情落差がかなり激し目に増幅され、ドラマとして、とっつきやすい。「等身大の女子高生」、ようは日本一を目指して血反吐はいたりしない、とゆーぐらいの意味ですが、唯がギター練習する描写については原作より強調されてますし、まるきり駄弁ってるだけじゃないよ、努力もしてるんだよ、という作りになってます。

 第一話の冒頭、学校に遅刻しそうになった(実際は時計を見間違えて1時間早く出たんですが)唯が必死で駆けているカットと、犬にかまったりして立ち止まり寄り道してしまうカットを交互に見せるというシーンが、第一期の全体を示しています。トータルとして、あらんかぎりの全力疾走じゃない、自分の身の回りプラスアルファぐらいの一歩前へ、ぐらいのニュアンスですが、そこは京アニ、バランスの取り方が派手でコッテリしてるんですね。つまり絵面としては熱血ドラマのような見せ方をする一方で、極端に「頑張ってない」絵面も用意する。シーン描写として熱血風味だけども脱力気味な意味合いを持たせ、絵としては日常ギャグっぽいシーンでは本人としては凄く青春して頑張っている、そういうベタな組み立てになっています。もともと、ジャンプあたりでも特訓シーンは一瞬であとは主人公の天賦の才で勝ち進んでいくものです。「けいおん!」第一期は、娯楽作品一般と比較してみても、部活動で努力する姿の描写率が取り立てて低いわけでもない。

 評論化筋の意見を収斂させてくと、甲子園を目指さなければ野球マンガじゃない向きからすれば「より高みへ」度合いが足りない、といったあたりでしょうか。貧困描写がないとか科学技術批判がないとか戦争の悲惨さを提示していないとか言えなくもないです。が、そういう好みを表立って言う奴は、とりあえず1強となったワンピースについて批判してくれと思います。あたりさわりのないファンタジーじゃなければ勝利も友情も努力も説得力を持ちえなくなってしまったよーな状況下で、まがりなりにもコッテリした青春ストーリーをやってみせた、とりあえず、「頑張れるものを何も持ってなかった普通の女の子」が最初の一歩目を踏み出した、「けいおん!」第一期は、そういう位置づけになるかと思います。想定外にヒットしたのも、玄人受けしそうな日常描写が優れていたからではなく、一般にとっつきやすい青春ストーリーの体裁がしっかりと整っていたからでしょう。

 第二期「けいおん!!」になりますと雰囲気がガラッと変わります。なにしろ第一期が12話で1年半が過ぎていったのと比較して、24話で1年間を描写するわけで、単純に言っても時間を3倍に引き延ばさないといけません。原作ですっ飛ばしたエピソードを再構成したり、オリジナルエピソードが大幅に追加されたりと、わかり易い意味で原作から離れたオリジナル作品になり、また第一期で端折られた「女子高生の他愛ない会話」が復活します。こうなってくると、第一期のバランスで青春ストーリーをやるわけにはいかない。

 結果、どうなったかといいますと、凄まじくノスタルジックの方向に寄って行きました。第一期で端折った原作ネタを消化するためでもあるのでしょうが、キャラクターそれぞれの過去の回想の比率が上昇しています。顧問であるさわ子先生はさわ子先生なりに自分の学生時代を思い出しますし、まだ青い女子高生でしかない唯たち主人公も、幼稚園時代や小学校時代、過去2年間の高校生活などを振り返ることが、この手のものとしては随分と多い。まあ、京アニらしい、コッテリした手法で乗り切ろうとしたわけです。ですので第二期は作品全体として過ぎてく時間への哀切が強調され、最終的に主人公たちの卒業に向かっての着実な歩みとして刻まれていくことになります。萌えアニメというのは「女子高生としての時間」を視聴者が愛でるもの、なわけですが、「けいおん!!」は、唯たち自身が自分たちの過ごしている今という時間を愛でるもの、という要素が加わりました。

 そんなふうに卒業というイベントに作品全体が収斂してく作りであったため、本放映時期には、軽音部メンバーの4人が全員同じ女子大に進学するという展開についてネットで大ブーイングをかます人たちが出てきたりもしました。卒業して「けいおん!!」という珠玉の時間は終わりを告げるんじゃないのかよ、いつまで甘ったるい時間に浸るんだよ、というわけです。その件についての評価はとりあえず控えますが、別に、原作が継続することやアニメ第三期を作ることを狙ったといった作品外部の理由オンリーでもって、4人とも進路が同じになったわけでも無かろう、とは思います。

 というわけで、まだ見てませんが、予想される見所について考えてみます。

 正直、第一期と第二期があまりにも違いすぎるので、予想は困難です。「日常」だったり「空気」だったりすることは、まあ、ないでしょう。実写邦画よりかは、よほどエンタメになってると予想されます。背伸びしすぎない等身大、という部分は最重要視されるでしょう。第二期の修学旅行のエピソードではサザエさんOPのごとく名所巡りに精を出すことはなかったので、ロンドンの名所巡りにはならないと思います。楽曲を演奏してナンボの話ですので、そこから組み立ててくと思われます。人間関係についてみた場合、一人だけ1学年下である中野梓あずにゃん)との、とりあえずの最後の思い出作り、という部分はバックグラウンドとして押さえておいたほうがいいかもしれません。表立ってはやらないかもしれませんので。

  • 楽曲について

 アニメ第一期では、原作で歌詞が提示されていた「ふわふわ時間」という曲が、実際にメロディーをつけて製作され、原作の歌詞そのままに劇中で唯たちが演奏しました。「ふわふわ時間」の歌詞は、作中でも「かゆい」とツッコミが入るような、いかにも「女子高生の可愛らしさを強調してみせたポエム」なのですが、それがきちんとロック調の曲に乗せて歌われます。いわゆる「女子高生たちの可愛らしい日常・ガールズトーク」の要素を楽曲のほうに任せたから、ベタな青春ストーリーであっても雰囲気が極度に重くならなかった、という見方が可能かもしれません。