人の良さにつけこむという話

http://d.hatena.ne.jp/rulia046/20080709

「エロ」の語が便利すぎなんで、「エロ」で具体的にイメージする範囲が各グループごとにあるだろう、という程度のツッコミだったのだけども、予想以上の収穫が得られたのでちょっとびっくり。

 いや例えば、エロコメとラブコメていう使い分けを更科修一郎なんか簡単に使っちゃうんだけど、言うほど単純に分かれてたのって「80年代少年誌ラブコメ」という母集団が確認できてた時代だけで、後の時代はマイナー誌やエロ出身作家やら考えたらエロもラブもフォーマットが拡散しててグチャグチャのドロドロだろー、とか。赤松健の漫画は前提として月マガエロコメ傾向強めでラブコメと単純に言い切れないとか、純愛エロゲマ的には「おもらし」をキスや手を繋ぐのと同程度に「純愛」の描写手段として獲得してきたとか、そういう文脈をきちんと押さえておかないと見当外れの方向にボールを投げてしまう、という。

 なんか相手を選ばず同じ作業を仕掛けるのが癖になってるなーと思った>自分

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 つい先週アニメ「くるみ」を見てて。東鳩と監督とキャラデザが同じ(てゆか同年放映)なんだよなーとか。あと、くるみのメイド姿を見て「まつろわぬものたち」というフレーズが思い浮かび。

 さておき、CLAMPって金儲けに徹しきれないダメさ、古典イデオロギーを捨てきれず抱えこんでる鬱屈が根底にあって。そーゆー鬱屈を引き継いでない気がするので、世間様の言う「CLAMPから介錯へ」ていうのがなんかこー、しっくりこなくて。

 てのは、レイアースにしてもCCさくらにしても、セラムンの成功を受けて「男の子文化を女の子圏に持ち込む」ていうコンセプトがガッツリ前面に出てて。しかも臆病なほどコンセプトを巡っての線引きに慎重だし。変身が魔法によるものじゃなく可愛い衣装に着替えただけてのも、そーゆージェンダー意識が強く滲み出てるんで、個人的にはインパクトは強くない。

 変身ヒロインの変遷の系譜だと個人的にはスイートミント。魔法の力で変身するけど年齢背格好は変わらず周囲の人間も変身前後ともミントと認識して「あれ? ミント、いつの間に着替えたの?」みたいな台詞があって。後世への影響と言われると辛いけど、いわゆる「魔法少女物」の系列のそれなりに直系番組なんで、「変身」の達成点としてはCCさくらより、こっちに軍配をあげたいなーと。