戦いたい女の子たち

『桃色シンドローム』の批評性が高いのは、少女の側は戦うことを求めていて男の側がそれをひたすら阻止するていう構図をきっちり見せてるとこで。

 セーラームーンはセーラーVの人気を得て発展させたもので、そもそも完全に女の子のものなわけで。男のほうはコスチュームやアニメの媒体につられて後からついてきたオマケなわけで、別に戦おうと戦うまいとどちらでも構わないというか、そこに女の子がいればどっちでもいいじゃんていうか。

 つうか戦闘美少女だったら女の子の需要と合流できてマーケットが大きいし目立つという。それを、原宿で十代の女性の動向をリサーチして男のオタクの欲望がそこにあるとか言ったら、ただのバカだし。ぶっちゃけ女の子の側は自発的に戦いたがってるわけなんで、金魚のフンの立場の男の悩みは割とどうでもいい。使役とか被使役とか、現場で営業やってるのと管理職になって後ろからチェックしてるのとなら、現場で営業やってるほうが気楽という話で。

 結局のとこ、男の子が戦ってる話とか、ちょっと目を別に向ければ普通にあるしなぁ。ゲームだとそれこそ山ほど。男の子が戦わないとか戦う場所がないとか、ぜんぜんイメージわかないわ。エロゲしかやらないエロゲーマー、ギャルゲしかやらないギャルゲーマーとか、幻想だし。

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 どっちかというと、個人で孤高を気取りたいのに気取れない、てのが問題の焦点かなぁ。ヒーローである以上は自己完結してるのが望ましいのに、どうやっても世間とのしがらみが断ち切れない、どうにもカッコ悪い。スーパー戦隊平成ライダープリキュアが並んでるってのは、あまりにも好サンプルが揃いすぎてるというか、時代の結論がそこにあるというか。

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 あー。自己完結しつつ(というか自己完結したいがゆえに)戦わないヒーローと、自己完結を気にしないで(依存しようがしまいがどっちでもいい)実際に戦ってるヒロインの組み合わせが問題とゆーことか。それはさすがに男の側のないものねだりだろぉ。