Kanonと、ときメモ

まあ、堅苦しい話はさておきアニメの話。

それぞれ3話まで。
えー、Kanonのほうは、もう既に「完全別物」回路が形成されつるあるのでそのまま見てるんですが、2話は普通より良い、3話は今ひとつ、ぐらいの感じです。

で、えー、本来なら舞たちがいるはずの屋上手前の踊り場に誰もいないタイミングで訪れたりしてるの見て、「これ、どっちかっていうと『同級生』あたりのナンパAVGやってるみたいだなあ」と思ったのでした。毎回、町や学校を意味なくひたすら彷徨いヒロインと出くわすタイミングを発見する、という。第一話でイベント発生場所を含めた町の各所を全部案内されているのも、マップを虱潰しに当たってフラグ発見に勤しむギャルゲーと同じなのだと考えると納得がいきます。原作ゲームのシナリオと全く関係ない場所で舞たちと出くわすのも、主要イベント以外の顔合わせ程度のランダムエンカウントだと思えばいい。
つまり、アニメていう手法を使って何かギャルゲー、エロゲーのようなもの(それもノベルじゃなくAVGタイプのナンパゲーのような)を組み立てようとしているわけです。

一方で、ときメモOLのほうが、Kanonをプレイしてたときの感覚に近い気がします。毎日の学校生活の繰り返しの中でちょっとづつ女の子と知り合いになっていく、その「毎日の繰り返し」の部分を、退屈させないように様々なイベントで埋め尽くしていく、と書くとアシュタサポテの『To Heart』レビューになりますが、まさにそんな感じ。毎日騒動に巻き込まれて大騒ぎしているうちに、気がつくと女の子と知り合って、普通に会話を交わすようになっていく。
こちらはおそらく、ゲームの構成要素を使ってアニメ(というか物語)を作ろうとしてる。

結果的に、両者の作品の中身が逆転したようになっているのが面白い。与えられた素材と、作り手の意識の交差する場所が鏡写しのようにして入れ替わっている。

僕は目下のところ後者の、2話で「ヒロインのつかさが遅刻しそうになって登校途中に主人公と激突」を通学路じゃなく校門の内側、つまり学校の敷地内でやって、さらに3話で女の子と一緒に下校する話をやりながら、「下校イベント」が終わったら二人ともそれぞれ別の理由で学校に戻るていう「イベント」をナラティブにこなしてくスキルに感動してる最中なのですが、こう比較してみると、前者の行く末が、かなり気になってきました。