続き2

そう思ってスニーカーの賀東招二との対談での谷川流の発言を見ると、11話について「いっそ丸ごとフルメタルパニックを持って来たかった」と言ってる。気分的には別に小説のエピソードとしての「射手座」に拘るつもりはなかったらしいし、他のスタッフらもあちこちの製作者インタビューで計算したシャッフルだったと書いてるようだから、これは学園が舞台の高校生SFな風景と異なる全くの別世界を入れたかったのが主目的だったと解釈しておこう。
そう読むと、これは例の日常と非日常という話でもあって。

9話は、「何も起きない話」(ケ)であり「変化の始まり・・・」の話。視聴者からもSOS団からも日常。
11話は、宇宙船の艦隊戦闘という視聴者から見た最も非日常的な光景にしてSOS団にとっての日常。
12話は、学園祭という非日常(ハレ)。視聴者的に日常的な光景であるがSOS団的に見て非日常(ハルヒが真面目かつしおらしい、ハルヒキョンがラブラブだ)な事態。
14話は、夢の中/現実世界から切り離されたもう一つの世界(以前の世界から見れば非日常だが、新しい世界だと考えれば新しい日常でもある。まあ、このへんは今どきの話だから。)視聴者的に見て非日常であり、SOS団的に見て非日常。

まあつまりなんだ、一般視聴者的には普通のラブストーリーに見えるかもしれんけれども、ハルヒキョンの間を恋愛関係とみなさない結末も並列的に成立しているのだよ、とか。
屁理屈ですよええ。定見を持たないO型人間は世間にどうやって迎合するかに全力を傾けるのです。

しかし本当にエピソードの時系列順に並べちゃってるなあDVD。何がやりたいんだ。

2006年09月05日19:00 みゃーこ

ササとザマニの説明は以下をどうぞ。
http://www.kt.rim.or.jp/~igeta/re00/je2-09.html