アシュタサポテ過去ログ。

めんどくさいので貼っとく。

 さて。しかし僕が言いたいのは「エロゲーにおける主人公(プレイヤーキャラクター)の位置付け」という問題に関してこの作品が示唆するところだ。主人公であるママトトの王子ナナスはひ弱な少年魔術師で、およそ非性的なキャラクターであるため彼の絡むエロシーンは一切ない。ではどこでエロが出て来るのかというと、AVGパートは彼が軍の装備を整えたり女の子に会いに行ったりする「ナナスモード」と、彼に実権を譲って自分はもう現役を引退した無力な老人――を普段は装っているが実は裏で良からぬことを企んでいるナナスの義父カカロ王が、女の子に手を出したりエロ本やエロビデオを楽しんだりする「カカロモード」から成っており(無論ここではカカロもプレイヤーが操作する事になる)、この後者の部分がエロな訳だ。しかし奇妙である。なぜこのような回りくどい設定をする必要があるのか。エロSLGだからといってエロとSLGで主人公を二人にして役割分担させる必然性などない筈であり、寧ろそんな事をしたら感情移入しようとするプレイヤーの気を散らせるだけだと考えるのが普通ではないか。しかもカカロ王というのがまたなかなかの鬼畜で、ナナスとプラトニックにラブラブになった娘が直後のカカロモードで陵辱されたりするといった展開には、純朴なエロゲープレイヤーとしてはかなり抵抗を感じざるを得ないらしく(いや、ナナスもカカロもやってるのは同じプレイヤーなんだがな)、この辺に関してはアリスのBBSとかでも激論気味だったようだ。
 何でもかんでも「感情移入」で割り切るのはどうかと思うが、あくまで作業のための仮説ということで採用するとして、僕は大体以下のように考えた。まずエロゲーに限らずゲーム全体を、ギャルゲー(恋愛SLG)を極北としてRPGAVGを含む「プレイヤーが主人公キャラに自己を同一化して進めて行くもの」と、STGボードゲームやパズルのように「同一化すべき主人公という概念をそもそも持たないもの」との2種類に大別してみよう。この視点からすると格闘ゲームというジャンルの占める位置の特異さがよく分かるのではないかとか色々思うことはあるがさて置き、アリスのエロSLGはこれまで第2のタイプにエロを加味する方向でやって来た。それらの作品(『人間狩り』とか)ではエロCGは単にゲーム中でのいわば賞品として見られるものという位置付けにあり、ゲーム内容と無関係ではないにせよキャラクターに感情移入したりする程の密接な結び付きはなかった(要するに脱衣麻雀と同じ水準だった)。しかしまた一方アリスには第1のタイプを執るエロAVG/RPGもあって、言うまでもなく『ランス』シリーズがそれに当たる。しかしその後の幾つかの作品でこの二つの流れはキアスム的交錯を見せる。つまり好色で鬼畜な男ランスとは対照的に、人外の力を持ってはいるが非性的で殆ど少年的な男(ちょうどナナスのような)を主人公とするAVGデアボリカ』('98)と、同じく非性的な少年を主人公としたSLGかえるにょ・ぱにょ〜ん』である。そしてエロを薄めて一般ゲーに近付いた後者においては当然消滅し、前者においても挿話的・外在的に現れるだけになってしまった鬼畜的要素を、カカロモードの導入によって再びプレイヤーの操作のもとに引き戻しつつ、かつ二つの流れを合流させた結果が、『ママトト』におけるこの奇妙な二重構造なのではないか。
http://web.archive.org/web/20020110043300/www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/8179/diary5.html#991013a
99/10/13『ママトト』('99 アリスソフト)レビュー。

 と思いきや。いくら良い成績を修めてもご奉仕なんかしてもらえないのですよ。どういうことかと言うと、まあ非常に面倒なのだけれど説明すると、まず屋敷の二人のメイドは主人公に望み通り大学へ行ってほしいから蔭で勉強を教えている。これに対し父のもとから来た第三のメイドは彼に赤点をとらせて大学受験を諦めさせるのが目的だから、模試の成績が良いと二人のメイドに「あんたが教えたのね!」と言いがかりをつけ、あまつさえ縛ったり鞭で打ったり色々する。二人は主人公に余計な心配をかけまいため陵辱を耐え忍び、またこっそり勉強を教える。主人公はそんな事とは知らないからせっせと勉強してまた高得点をマークしてしまう。お蔭で二人はまた吊るされたり器具を入れられたりする。以下繰り返し。
 なんかもう、こう書いていて腹が立ってくる(自分の説明が下手で)位、回りくどい話である。確かに一応「試験の成績が良いとエロ場面が見られる、悪いとゲームオーバー」というクイズエロゲーの形をとってはいる訳だが、だったらなんで素直に「テストで良い点がとれたらメイドさんからご褒美」という設定に出来ないのかと訝しがらずにはいられない。のだが、まあそこがアリスのアリスたる所以なのだろう。つまりまず一方に素直で善人で非性的な(去勢された)主人公(プレイヤーキャラクター)がおり、他方で彼を取り巻く女の子たちが陰でさんざん陵辱を受けている、というアレ。この辺については『ママトト』の時にもちょっと書いたので繰り返さないが、つくづく妙なこだわりだと思う。僕はアリスソフトが特に好きでも嫌いでもないのだけれど、常に綺麗な絵と良質の音楽と軽快なシステム回りを備え、エロゲーとしては驚くばかりの高いゲーム性を保持しながらそれでいてエロ方面にも手を抜かない上質の作品を、しかもコンスタントに提供し続けるこの実力が、確かに業界でも一二を争うものである事に異論はない。そしてそんな現在のエロゲー界を代表するソフトハウスの一つが、こと主人公の設定に関してはかなり一貫してこのような特異な姿勢をとり続けているという事実には、もっと注意が払われて然るべきだと思う。
http://web.archive.org/web/20021021203211/www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/8179/diary7.html#000306c
00/03/06『メイドのススメ』('99 アリスソフト)レビュー。