ノベルゲームの主人公人格に関する言及

 あー。その少しばかりの違い、というのは鑑賞型感情移入なる感情移入形式的にはどーでもイイ程度の違い(趣味的許容度の問題でしかない)しかなかろうと思うので、ハナシの筋としては別だ。

や、別じゃなくて、もう一方の人格、つまりヘタレのほうに「(鑑賞型)感情移入できない」ていう話で。
 
ヘタレ人格は文中の選択肢の要請としてある、と考えられる。
プレイヤーがゲームのシナリオに介入する際に、操作するキャラクターが決められてるんだけど、彼に勝手に動かれたくない。そしてプレイヤーの「判断」は、その作品内世界の固有情報が与えられない限り現実的、道徳的、文脈的な形でしか発揮されない。結果、どうなるか。

これが僕の望んでいた機会、だろう。
自分の気持ちを言語化するための、それを実行に移すか否か、
能動的にその言葉を発することのできない僕が、
疑問符つきの彼女の言葉によってその選択を迫られる、そういう機会。

(『水月ファンディスク みずかべ』収録ショートストーリーより)
というふうに主人公が独白せざるをえなくなる。
 
この構造的に意思決定できないヘタレ主人公に対し、その構造を理解せず、業を煮やしてカッコいい人格を与えると、今度はプレイヤーの選択に従わない主人公となり、主導権争いが発生する。強制的に時間経過してにっちもさっちも行かない状況でプレイヤーの決定を「でも…」「…やっぱり、だめだ…」と流してしまう主人公を正当化する『君が望む永遠』とか。
では、と主人公側の意思こそが正しい道であるとして、シナリオ構成や世界観そのものを主人公に合わせて改変するというのが、主人公の無謀な正義感にそぐう選択肢を選ばないとバッドエンドに直行する『Fate/stay night』や、主人公が当座の状況に絶望して今後の行動方針を確定してから(よく考えれば絶望しなくともいい)世界設定を開示する『Cross†Channel』。プレイヤーの決定をシナリオ操作で無効化することに主眼を置くのだけど、これはつまり、ヘタレ人格=一般社会の平均的な倫理や道徳の排除を意味する。少なくとも一度は、特殊な世界の特殊な価値観へと完全にシフトするわけ。
その立場から元の日常の居場所にどうやってしがみつくか、ていう捩れて逆転した戦いを扱ってみせるのが『Fate』の後半で、実を言うとラストあたり、「やっぱり『Kanon』あたりに戻りましょうか」みたいな気配があって、『Kanon』じゃない新しいのを欲しがってた人たちは「えー?」て思っちゃったっぽいんだけど。
 
で、「月姫」に話を戻します。
コンピューターゲーム」の制度、レベルアップや一定手順で解ける謎解き等、に拠ることで成立してた美少女ゲームが、そういう制度的なものを全部削除して(誰でも解ける難易度にして)、その形式性をオープンにし、ヘタレ主人公はヘタレのまま、な『Kanon』的ノベルゲームてのを拒絶した結果の分裂先のひとつとして、「月姫」が出てくる。
(このへんは「葉鍵月史観」ですからね。元から『Kanon』なんて気にしてない人も大勢いますからね)
ヘタレ主人公は嫌だ、感情移入できない、もっとカッコいい主人公の活躍するノベルゲームが欲しい、という流れを発掘してみせたのが「月姫」。(あとニトロプラスもありますが)
だから、「趣味的許容度の問題でしかない」とはいかないのが「月姫」の流れで。
繰り返すけど、「ヘタレ主人公に(鑑賞型)感情移入できない」てのはかなり構造的なものなんですよ。そもそもゲームで操作するコマなんだから、手足と同じで。女の子の胸を揉んでる最中に揉んでる自分の手を対象化して「萌え」とか言わない。言ったら別の意味の変態です。だから、「ヘタレだから感情移入できない」てのも本当のところ微妙な話で。ゲームの内容の変化と、ノベルゲームのプレイスタイルの変化(プレイヤー層の移行含む)と、エロゲー雑誌やネット上のレビューサイト等の言説と、それぞれが少しづつズレつつも重なりながら、影響しあって全体が変化していった結果、「(鑑賞型)感情移入できるカッコいい主人公」が、根本的に歪んでるから捩れた形でしか成立しえないとはいえ、エロゲーで地歩を固めることになる、そのへんの兼ね合いです。
あと、エロゲーをオタクだかのメインストリームであるかに捉えてしまって、メインストリームであるからには男子が何かと戦ったり成長したりしなければならぬ、みたいな変な思い込みも、「月姫」のそうした流れを後押ししてるのは確かだと思います。王道なんて何処にもないんですよ。それでも王道と覇道という言い方をするのなら、覇道と、覇道ではない道の中間を、手探りで進んでくしかないのが本来言うところの王道なんじゃないかしら。だからこそ『Kanon』は、難度のない、5人のヒロインの物語を順次追いかけていくだけの構造と合わせて、その中に「私が救われた一方で、別の誰かは救われなかったかもしれない」て言葉を仕込んでるんであって。
月姫」的な主人公の持ち上げは結局、スノッブのための「動物化」の語の適用と、表と裏の関係ですから、そら当てはまるだろ、とは思いますけどね。