受け手にとって物語とは

受け手からすると、物語とは、他人事で、自分の実生活と無縁な、社会的な利害に関係しないことが確定してる情報、となります。利害計算に入れなくていい情報だから安心して共感したり感情移入したりでき、泣いたり笑ったりできます。
物語はなぜ終わるのか>終わってると安心できるからです。
物語の主人公はハッピーエンドか死ぬかします。ハッピーエンドは社会通念的にええ感じのところに主人公が落ち着くので、主人公は社会に埋もれその他大勢として扱えます。もしくは主人公が死んでしまえば、そいつはもう、ある日突然受け手の前に立ちはだかることはありませんので無視できます。
もしも主人公が社会通念的に不穏当な立ち位置のまま話が終わってしまうと、受け手としては安心できません。万が一そういう奴がある日突然出てきて受け手が上手いこと生き延びてくための前提の今この社会を揺るがしたらどうしよう。冗談じゃありません。そんな話は安心できないから、嘘なら聴きたくありません。本当なら対策を考えなければなりません。
ということで、物語構造てのは受け手が安心できるための情報処理の手順です。「むかしむかし〜めでたしめでたし」だったら明日の晩飯には関係ないな、とか。
だから逆に言うと、そのへんの受け手側の手順をしっかり理解してる情報の送り手にとって、物語てのは上手くやれば「受け手の直接的利害関係にとってなんの関係もない情報」を聞かせられるツールとして使うこともできるわけです。その際は、けして物語であることを壊したりしてはいけません。どこかしらは物語でありながら、少しだけ物語じゃないような情報を混ぜておけば、受け手は餌に食いついてくれるでしょう。派手にやりすぎて物語じゃなくしてしまうと、誰も読んでくれません。
以上。