続き

「発情を治療する」を「性欲は病気、もしくは病気による症状である」として掘り下げていく方向性は、性欲に反社会性を見出しインモラルなものとして客を呼び寄せる、エロ物の伝統的な視線に寄り添っているといえます。ですが、諸条件から、何かを間違えてしまいました。
各ネコ患者とのハッピーエンドなシナリオは、「治療中」の現状のまま、退院することもなく病院の内側だけで完結します。セックスしなければならない病気についての究明は一切ありません。複数のヒロインとそれぞれ結ばれるマルチエンドのフォーマットは、主人公・語り手自身の問題の解決、作品全体のテーマの解決、といったことは不得手です。(それを「テーマ」という考え方、受け取り方を廃する理想的創作環境とみなせるのなら良いのですが、そう思えない人たちが大半なのが現状です)別にそのまま放置しておいても構わないのですが、シナリオは、「ふと疑問に思うときもあるが、これは治療なのだと自分に言い聞かせる」主人公にこう独白させてしまいました。

結果として、「病気」を治療するために、各ネコ患者とのEDを終えた後に「トゥルー」と題されたシナリオが本編と別に用意されることになります。
 
 
 
 
 
以下、本格的にネタバレ。
 
 
 
 
 
 
ネコミミ娘の存在することそのものが病気、それがこの物語の結末でした。

http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=473384&log=20060917
で書いたことの延長です。企画としては「発情」のイメージからイヌよりもネコが中心に扱われはじめます。ですがネコであるなら発情は病気とはいえません。性欲をもてあましたときの対処療法だけ必要なら病院に入院する理由はない。ならばなぜ彼女らは入院していて、治療として性行為を行うのか。彼女らがネコミミ娘だからである。ネコミミ娘であることそのものを治療しなければ終わらない。ネコミミ娘とHしまくりでのんびりほのぼの暮らしているこの作品世界そのものを治療しなければいけない。
 ということで、ネコミミが生えてくるのは致死性の疫病で、ネコミミ娘やイヌミミの男性主人公ジャックは全員死亡し、残った「人間」であるクレインは、彼ら彼女らとの思い出の詰まった診療所を後にして人間達の世界へと帰ります。彼らのデータを元にして、ネコミミという「動物になってしまう病気」を治療するために。