続き。ノベルエロゲーの男の子と女の子の二人がハッピーエンドになるには

上記の簡単な応用です。受け手が物語を見出すには、一人が主人公として死ぬ必要がある。ですので、「男性主人公から切り離されたプレイヤー」が死ねば、男の子と女の子は生き残ります。「死ぬ」というか、プレイヤーとして途中まではシナリオに半ば立ち入っておいて、途中で消えればいいんです。はいこれ、皆さんよく知ってますね、『ONE』です。つまり、『ONE』の「ぼく」を、あんな形で文章上に表出させるんじゃなく、プレイヤーの心理の操作によって行えばいいんです。『ONE』はああして「ぼく」を表に出してしまったために「えいえんの世界で佇む少女」を、シナリオのヒロインと異なる姿で出さなければならなくなったのですが*1、文中選択肢を変にややこしくいじくらず、選択肢の表記と選択結果が直結するような形でありさえすれば、人により没入の度合いは異なるでしょうけれども、少なくとも選択肢を選ぶ瞬間は、プレイヤーはシナリオ内での現実を生きる男性主人公と半ば同化した形で選択するのです。あとのプレイヤー心理の操作は上に書いたのと被ります。そして、プレイヤーがそのシナリオから身を引けば、残った二人は二人とも生き残ってラブラブでハッピーエンドです。プレイヤーは、ゲームの中の「自分」を殺すことになるので多少の精神的苦痛を味わうことになるかと思います。あとは、それに耐えられるかどうかですね。耐えられない人はどうしても「ヘタレ主人公」とか「甘ったるいばっかりで退屈」とか「物語構造的になってない」とか文句を言ってしまうことになるとは思います。
まあ、トノイケダイスケであれば、
 
 
 

ノベルエロゲーにSF要素や謎解きやグロCGや現実の厳しさなどと僭称する御都合主義の艱難辛苦などと





上等の料理に蜂蜜をぶちまけるが如き思想ッッ!!

 
 
…と一言で斬って捨てるでしょうが。*2

*1:あの少女が先ほどまで「現実世界」で絆を深めてHまで致していた当の攻略中のヒロインその人であることは、ここまで書けば言うまでもないことと思います。

*2:http://d.hatena.ne.jp/tsukimori/20060217/p1「例えば、とてもひとりで食べきれる量ではないパフェを食べている、と思っていたら僕自身がそのパフェの中に入り込んでいて、たまたま顔の辺りに当たっているバニラを食べているに過ぎなくて、透明のグラスを通して見える僕がいるはずだった外の世界には、設定や隠喩や因縁めいたモノが確かに徘徊しているんだけれども、それらはガラス模様でぼやけているし、バニラが目に染みてもくるし、正直どうでもいい、どこまでも甘くて頭が痺れる心地にずっと浸っていたくなる、そういう悦楽めいた疲れに精神を苛まれるような、ただの読み物。」