「さくらむすび」CUFFS

某所の「さくらむすび」感想・考察に寄せて、毒をひとさじ。
以下、完全にネタバレです。
 
 
 
 
 
CUFFS 『さくらむすび』 考察  現在、過去、未来。
http://d.hatena.ne.jp/Su-37/20050831#1125514946
素敵なお話です。ですけれど。
せっかく、ハッピーな展開を差し置いて妄想するのですから、もう一押し。
邦彦と可憐、圭吾と桜という二組の兄妹の関係は、もう少し深読みすると、もっと、もっと、楽しいと思います。
可憐シナリオのラストシーン、邦彦と可憐の、仲違いしていた二人の和解の下り、わざわざ少ないCGを割いて描かれる、微笑ましくさえ見える抱き合う兄妹のツーショット。このシーンの邦彦は、なんだか圭吾によく似てると専らの評判ですが、もし、あえて似せて描いたのだとしたら、どうでしょう。
よく似た構図のCGが、そういえばありました。桜ルート、桜と圭吾、二人がこころにそうと決めて、タブーがタブーでなくなったあのとき。妹は実の兄妹だと信じたまま交わりを願い、兄は義兄妹だと知るがゆえに最後の一線を踏み越えたあのとき。
もしも桜と可憐の二人の物語が、表と裏の関係のようになっているとしたら、圭吾・桜兄妹の抱擁と、邦彦・可憐兄妹の抱擁が、対の関係だとしたら。
 
もしも、の話。
もしも可憐が金村世津子の娘で、桐山圭吾と異父兄妹で。桜シナリオの桜と圭吾のように、可憐が自らの出生の秘密を知らず、邦彦がその事実を知っているとしたら。
思えば、邦彦の態度の急変は実に異常です。当初は圭吾の口から可憐の話題が出ることに非常に神経質に振るまい、付き合い始めたと知ったら交際を止めろと迫り、ところが二人の反発に出会ったなら途端に諦めたように二人を容認し、最後は二人が駆け落ちするのを手伝いさえする。
それが、圭吾の桜に対する態度のように、甘えて駄々をこねる妹を諭しきれず容認してしまう、妹離れできない兄としての妹への態度なら。妹離れをしなければと言いつつ、愛する妹を傷つけたくないばかりに手をこまねいて見ているばかりの、そんな姿が兄としての邦彦なのだとしたら。義理の妹が、彼女の血の繋がった兄と近親相姦の禁忌を破るのを、ただひたすら妹を傷つけたくないという、ただそれだけの理由で受け入れているのだとしたら。

「わかったよ、桜」

抱き寄せた。
小さな体、小さな妹、小さな桜。
僕の大事な。
守ると誓った。
 
――逃げ場なんて、ないんだ。
「え?」
 
なら、一緒にいればいい。
それでおまえの笑顔を守ってやれるというのであれば、それでいいさ。
 
――きっと、もう――
 
それだけしか、僕たちには――桜には、そして桜のために生きると誓った僕には――道なんて、残されていないのだろうから。

桜を望んだ、桜の望んだ、圭吾の独白。この独白を、可憐と別れの挨拶を交わす邦彦の姿にそのまま重ねて。
圭吾を望んだ可憐の望みを、邦彦が引き受けて。血の繋がらない兄が、血の繋がらない妹を愛するがゆえに、血の繋がった者同士の契りを認め受け入れて。
 
ずっと判り合えなかった二人の兄妹の、ようやくたどり着いた和解のシーン。
でもそれは、すれ違う二人の、多分、永遠に理解しあうことのない、異なる思いのすれ違いで。すれ違うことでしか、二人は互いを見つめることができなくて。

「…」
「どうして?」
「何が?」
「どうして助けてくれたの? 私は…あなたのこと、ずっと…」
 
「妹だから、だ。」




そんな、兄と妹の物語が、あのCGに籠められているとしたら。
妄想、してみました。
 
終わり。