ひぐらし予報

ここからが俺の言いたいことです。
ひぐらし」は現時点まで、5本のシナリオが出てきました。明日だか明後日に6本目も出ます。
以前にリンクした記事では、次のように述べていました。

美少女ゲームに内在する抽象的な意味での「学校」を、本作は無残に壊していきます。
http://d.hatena.ne.jp/judgement1999/20041003

壊すのは、そんな抽象的な「学校」だけでしょうか?
そんなことはないのです。既に、「学校」以外の多くのものを、「ひぐらし」は破壊していく。メタフィクションの様式によるものでも何でもなく、ただエンターテイメントとしての物語を5本綴り続けているだけで、です。
まずは、ゲームという言葉を巡る怪しげな使用法。

これだけ露骨に表現されているにも関わらず「ゲームじゃない」と吠えれば自分の読解力の無さをさらけ出すだけだし、気付いてしまえばゲームと認めるか、あるいは口をつぐむしかない。「『ひぐらし』は選択肢が無いからゲームではない」という表層的な誤解を撒き餌にして、読んでしまったら否応なく「ひぐらシステム」に取り込まれプレイヤーとして認定されるという、アリ地獄のような論理トラップだ。スプラッタな描写よりこっちの方がえげつない。
http://ab.txt-nifty.com/ab/2005/01/post_1.html

何せ、最初のゲームがガンパイのトランプを使用したカード勝負ですからして。「ひぐらし」は、ゲームの根拠となるロジック、論理的説明をまず破壊するところから開始し、続けてプレイヤーの足場となる均質な空間を次々に破壊していきます。
ヒロインへの幻想が破壊されます。ギャルゲーマー的には、これだけでも大ダメージです。*1次に「学校」、これは上記のリンク先の言う通り。なんだか「Sense Off」を髣髴とさせるやりくち。そして「雛見沢」という土地と、その土地にまつわる様々な逸話。「目明し編」では、それまでに語られてきたおどろおどろしいエピソードなどが全くの出まかせであったことが示される。何がしかの根拠があると思われていたものはことごとく薄っぺらで、ただ言葉だけが行き交い増幅されたものであったことが露骨に提示されます。次のシナリオの煽り文に至っては「それは喜劇」ですし。ゲームと、ゲームの概念がサポートし作り上げてきた世界観を容赦なく潰していく。エンターテイメントの形のままで。
元長柾木のシナリオによる「嬌烙の館」と同じことをやっているだけじゃないか、と思う向きもあるでしょう。それはある意味、正しい指摘です。ただ、「ひぐらし」のほうがスケールが大きいだけ。容赦ないだけ。
 
…要するに、ですね。
私はデスネ、期待しているのですヨ。
それは1年と半年後。あっという間に二次創作アンソロジーが山ほど出て、漫画化されて、ドラマCDが出て、曲がりなりにも講談社っつー老舗の出版社の雑誌に特集されて、アニメ化して、コンシューマー移植されて、コミケで流行って、気がつけば映画化もされたりなんかしたりしちゃったりして、ジャパニーズホラー移植とか言うてハリウッド映画化の情報が!とか何とか言ってさ、評価の逆輸入で一般誌でも取り上げられて、「徹子の部屋」に竜騎士07氏が登場! そして遂に発表された最終章、明かされた真実は!?
 
そんな夢の未来を想像して書きました、「ひぐらし」の真相です。
こうだったらいいな、というボクの夢と希望をこめて書きました。
もちろん、推理の根拠もあります。
 
 
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怒っちゃヤ(はぁと)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

*1:というか殆どこれだけで全てが終わってしまうのが立ち絵+背景で構成されたビジュアルノベル形式の恐ろしいところですが。