月姫」という作品は、従来のエロゲービジュアルノベルの文脈をまるきり無視したところからスタートしています。
それはつまり、ビジュアルノベルやノベルADVが(遡ってはRPGやAVGのシナリオが)「ゲーム」と向き合ってきた経緯を全く理解しないまま、絵付小説のバリエーション程度の気持ちで作り上げてしまった、ということです。奈須きのこが「ビジュアルノベルは小説だ、物語だ」(要するに「VNはゲームではない」との意味を言外に含む)という発言をしてるように、自分が半ば身をおいている「ゲーム」とは何かを問い掛けようとする意識はなかった。「月姫」は自らがノベルであることに全く疑いを持たなかった。それが、「歌月十夜」でビジュアルノベルの形式の閉鎖性について肯定的に言及し(何せ同人ファンディスクだから終わらない学園祭を謳歌してても別段に突っ込まれる筋合いはない)、「Fate」において、内容が「聖杯戦争というゲーム」を題材にしているように、ようやく「ゲーム」なる概念を(自らの足元を)懐疑的に問い掛けるところにまで至る。ここでようやく、他のゲーム作品のシナリオと同じスタートラインに辿り付くわけですが、それは当然、ゲームという文脈と寄り添って成立している「異世界」の概念を揺るがせてしまう。しかしそうした試みは中途で潰え、結局、「Fate」は「奈須ワールド」だか「きのこワールド」に設定のみを回収され、「月姫」などとのリンクによって異世界を維持することになります。*1
 
この「異世界」を見出し「世界観」「世界設定」を消費する姿勢は、別に「月姫」だけがそうであるわけではありません。そもそもコミケでの作品消費は女性陣のやおい同人市場のほうが圧倒的なわけです*2し、そのへんの新聞や週刊誌のゴシップ記事の思考様式も基本的には「自分に関係ない世界の住人の生態を勘ぐる」というレベルですし、ネットのオタク分析も業界分析記事も似たようなもんです。客観性というよりは無関係な他人事としての距離感により成立してる。そのうちに自分自身に近しいことまで他人事としての距離感を取り始めると一人前の引きこもりの出来上がりですが、そういう話は俺の手に余るので放置。ともかく、受け手の側の、世界観をつまみ食いする態度は、送り手には制御しようがない現実としてある。
 
ここにおいて、「ひぐらし」の仕掛けの意味がようやく理解されます。

ですから、あなたは小まめなセーブ&ロードから解放され、

フラグのオンオフ、現在のルートが誤りであるか否かを心配することなく

物語の顛末の最後の最後までゆっくりと楽しむことができます。
http://rena07.sakura.ne.jp/Soft/Prolog.htm

物語を最後までゆっくりと楽しむ、ただそれだけのために、「ゲーム」という言葉は生かされたまま本編から分離されます。ここでもし(奈須きのこのように)「ゲームではない」と宣言したならば、例えばパラレルワールド、時間移動というSF的解釈に身をゆだねたり、ミステリーの文脈に照らし合わせた「フェアな謎解き」コードによる文章チェックに晒されたり、俺みたいのに「ギャルゲーの文脈に照らし合わせて」正しいとか間違ってるとかやられることに対して全く無防備になってしまう。そしてもちろん、設定が完全に公開されないことに対して、「魅力的な世界観じゃないから」といった理由で無視される可能性も高い。しかし、多くの人が求めているのが実は「設定」ではなく「異世界」であり、そこへは設定によらずとも、ゲームという概念を経由していけばたどり着けることを「ひぐらし」は示したのです。その結果、「ひぐらし」は異世界という枠組みから外れた物語を展開することも、それを多くの人に受け入れてもらうことも、理論上は可能になる。物語の外に「ゲーム」を確保することによって。
 

*1:繰り返しますが、異世界という考え方が悪いわけじゃない。それが設定の無限の再生産にのみ従事する(ここではSFもミステリもその片棒かつぎでしかありません)ことで、元となった作品も物語も星の彼方にまで追いやられてしまうのに多く無頓着で、作品論も作家論も表現論も批評も素朴な感想すらも殆ど成立しない状態が一部である、というだけの話です。

*2:こっちは世界設定の代わりにキャラ設定に特化してる