『ひぐらしのなく頃に』07th Expansion

その6。
その1はid:tdaidouji:20050720#p1
その2はid:tdaidouji:20050723#p1
その3はid:tdaidouji:20050729#p1
その4はid:tdaidouji:20050731#p1
その5はid:tdaidouji:20050804#p1

その後、プレイヤーの手足の延長であるプレイヤーキャラクター/ゲームの主人公としての男性主人公が退場することで、ギャルゲーの形態はほぼ矛盾なく完成します。それは人格を同定するために要求される記憶が排除されるといった形で示されます。

繰り返される平穏な日常に浸っているつもりの主体の同一性を揺るがせる記憶の不確実性の指摘、これが第二の亀裂ということになろう。当然それは、記憶を共有している筈の幼なじみ・長森瑞佳との遣り取りにおいて現れる。例えば子供の頃一緒にお風呂に入ったことがあったなと言う浩平に対して、長森がニベもなく知らないと言い放つ場面は、さりげなく描かれてはいたが決して見過ごしてはならないものだった。或いは終盤、存在の希薄化を感じ取った浩平が唐突に「なあ、瑞佳」「オレとおまえの出会いは、いつ、どこだった」と問いかけ、しかも結局はっきりした答えが得られないという条りは、ゲーム冒頭で回想されていた長森との出会いの様子が、これまた確証を欠いた記憶でしかなかったことを裏付けてはいなかったか。
http://web.archive.org/web/20020611072300/www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/8179/diary8.html#000412

といった形で、『ONE』のゲーム空間であるべき日常を律する主人公は消え、代わりに、ヒロインの側が物語の結末に求める平穏な日常の体現者としての男性主人公が召喚されることになります。

ギャルゲーにもっともふさう主人公は、「選んだヒロインによって自身の過去が決定する」のでなければならない。一方では、物語の冒頭でプレイヤーとの情報格差をなくし、他方では、他ならぬそのヒロインとの固有の物語に参入したと信じさせなければならない。
 これをわかりやすくやったのがKanonのいくつかのシナリオである(そこにはほとんど、現在によって過去が決定される、という因果律の逆転を物語内部にとりこむ姿勢さえ見られる)。先駆として「センチメンタルグラフティ」を挙げることもできるだろう。あと「夏祭」(ディスクドリーム)には、思い出を選択できるシステムが搭載されていたような気が。また転生モノのたぐいでは、「ヒロインによってそれぞれ異なる前世を思い出す」という方法もありうる
http://imaki.hp.infoseek.co.jp/r0210.shtml#6

ここにおいて男性主人公は狂言回しや語り手ですらなく、ただヒロインの抱える物語の要素として召喚され、物語の一部となります。ゲームプレイヤーが現実と異なる空間として求めたシナリオ前半の「繰り返される日常」と物語主人公のヒロインが物語の結末として求めた「平穏な日常への帰還」が一見して重なりあい、物語は安定しますが、ゲーム全体を統一した視野で見渡し把握することを求めるゲームプレイヤーとしての在り方は殆ど排除されます。
その後は、ほぼ、なし崩しです。選択肢の正しい方向への誘導というHシーンの役割により物語の伝達が成立していたことは忘却され、物語を読む行為がシステムの内部で完結するようになり、エロとプレイヤーとが物語の外部でシステムと同化し、黒子と化します。システムは「読む」ことに特化するよう要求され、お話を読み進めるにあたって障害となる要素は排除されます。シナリオを遡って読み返すシステムがADVに常備されるようになり、選択肢は分岐で間違えることがないよう明快になり、マップ画面にヒロインのアイコンが見られるのはごく当り前となります。「ゲーム主人公」の消滅と「ゲーム性」の消滅は平行して進行していき、ほぼ分岐することのない最初から最後まで1本道の「読み物ゲーム」がノベル形式でも見受けられるようになり、2002年には分岐無しノベルADV『鬼哭街』が大した抵抗もなく受け入れられます。
ヒロインの音声付きが常態化するのと平行して主人公の名前をどう呼ぶかも問題視され*1、プレイヤーが好き勝手な名前を入力していたのが、決められた名前を使用する作品が多くなり、名前の変更が出来ないゲームも散見されるようになります。主人公の顔が隠されるのは当然と思われていたのが次第に顔を露出するようになり、瞳まで描き込まれた(結構カッコいい)男性主人公の姿がエロゲー話題作でしばしば見られるようになります。
そして、「日常」は埋没してその素性は隠されます。
 
続きます。

*1:サターンのギャルゲーの頃は「○○くん」の○○が不自然に空白なのを皆受け入れていたことを考えれば、たぶん物語の強化のほうが先行してるのだろうけど