『ひぐらしのなく頃に』07th Expansion

その3。
その1はid:tdaidouji:20050720#p1
その2はid:tdaidouji:20050723#p1
Leaf/Key 作品を範としたノベルゲームは基本的に受け手の「これはゲームである」という暗黙の受容態度によって成立してきた」の続き。
例えば、ノベルゲームの事情を全く知らない人から見たとき、

id:Erlkonig:20050529:1117294542
進むシナリオを変えちゃうと恋仲になる相手まで変わってしまって、おまけに他のヒロインの物語が未決状態になるのには違和感がありました。

という意見が提出される。
のみならずこの発言に、

id:magokoro:20050529#p1
これをノベルゲームとしてではなく、ギャルゲーであると認識して取り組めばそんなに感じないとは思うけれど。

という、「ノベルゲームとして捉えた場合、違和感がある」と読める返答がされる。*1
 
さて、人間関係も舞台装置の内実も激変する初期サウンドノベルのことを考えれば、主人公の心情の流れに寄り添って物語が展開していく「Leaf/Key以降」のノベルゲームは変化の幅はかなり小さい。にも関わらず上のような意見が提出されるのは、選択肢の質に多少の変化が生じているためだ。具体的には、エロゲーの文脈でノベルゲームが採用されたために、選択肢を選ぶにあたってヒロインを獲得するという目的が意識されるようになった。

id:tdaidouji:20050713#p1
エロゲー、裸を見るゲームを軸に考えた場合、見落とされがちなのが「裸を見る」という非常に強力な「正解」が作り手と受け手の両方に共有されること

裸を見る、エッチするという基盤によって、恋愛という関係性の実在が保証され、さらにストーリー伝達の確実性の向上が成立してきたわけです。例えばストーリーが枝分かれし情報に矛盾が生じた際に、「エッチできた分岐が、より正しい情報」という価値基準が保証となって、矛盾のないストーリーの伝達が行われてきました。

それ以前の、「どっちに転んでも楽しめる」ノベルゲームでは存在しなかった*2、選択肢における正解探し、いわゆる「意思決定」が、どのEDに到達しても等価なマルチエンド形式を維持*3したまま採用される。ここにおいて、ノベルゲームの「意思決定」はダブルスタンダードを抱え込む。様々な展開を全て読み込もうという全シナリオ制覇の「やり込み」と、ヒロインという正解を目指すミニマムな「意思決定」。しかも、どちらも「エロという正解」を下支えにした、すなわちゲーム外部の基準に多くを依存した行動であり、ゲーム内部のルールや目標に依拠する行動決定からは距離がある。
この事情をよく示しているのが、Leafビジュアルノベルの第一弾の『雫』。以下、前に書いた日記の引用。

■2004/06/10 (木) 雫 その5
ヒントメッセージより。

「このゲームには何種類かのエンディングが用意されているけど、その中でもひとつ、物語の核心に触れる真のエンディングが用意されてるんだって。そこに辿り着けば、雫の根底に流れるストーリーが明らかになるらしーよ。ただし、このトゥルーエンディングに到達するのは(中略)あと、トゥルーエンディングはなんとも救われない話らしいんだけど、エンド部分だけが異なるハッピーバージョンも用意されているんだって。(中略)この二つのトゥルーを見たあとのしおりは、(中略)トゥルーを見たらまた会おうね!」

ということで、トゥルーエンド、ハッピーエンドという言葉についてはやはりLeafビジュアルノベルが大きな役割を果たしている。
一方で、説明書には以下のように書いてある。

「彼女達の誰をヒロインに設定するかで、がらりと変わった視点で物語を展開させることができます。ストーリーには、どれが正しいのかといったものはありません。プレイヤーの望むままに進んだ道こそが、正しいエンディングなのです。
なかには悲しい結末を迎えることもあることでしょう。でもその一方には、きっと幸せを掴むことのできるエンディングもあるのです。」

ここではシナリオがヒロインごとに分かれていて、どれが正しいという扱いの差はないという捉え方がされている。しかしその言葉の直後に、「悲しい結末」に対して「幸せを掴むことのできるエンディング」がそれなりに肯定的に扱われている。
作り手はここで無防備にダブルスタンダードで踏み込んでしまっている気がしてならない。つまり物語としての謎解きと、ゲームとしてのヒロイン攻略と。その分裂がトゥルーとハッピーという言葉に持ち込まれている。「物語メディアであること」に徹しなかったのはその必要性を感じなかったのだろう。実際、LVN3部作の後は、通常の「ゲーム性のあるゲーム」への回帰を目指していたし、彼らはゲリラ的な手法としてのビジュアルノベルは信じていても、それがエロゲーのメインストリームになりおおせ、ましてや「新しい物語形式」と呼ばれるなどという未来は思ってもみなかっただろう。まず「普通のゲーム」があり、そこに寄りかかる形でLVNは存在したはずだった。

■2004/06/10 (木) 雫 その6
>いかにも使われてそうな言葉ですけど、それ以前のゲームには、ハッピーエンド、バッドエンド、最高のハッピーエンド、などの分類はあったものの、バッドエンドでありながら作者が意図する物語的なニュアンスのトゥルーエンドという言葉は存在しませんでした。
念のため、作り手のページ(Worksの「雫」の項目)より。

ここから、話がさらにややこしくなったり。
 
続きます。

*1:この場合の「ノベルゲーム」は『弟切草』や『街』をイメージしてるのだろう。それ以上の深い意味はないと思われます。

*2:そういや『かまいたちの夜』の推理劇がある、ていうツッコミがあった。

*3:複数ヒロインの制度に依拠することで成立してる