水月ショートストーリー(すいげつ)「愛少女」(えおとめ)

「那波は、っ…キスが好きだよね」
「んっ…うん。お姫様へのキスは、王子様の特権でしょう?」
「王子様とのキスは、もっと優しいものだと思うけど」
「そんなわけないよ、好きなんだもん」
そう、あっさり言われると、そうなのかな、っていう気がしてくる。
 
「物語にかかれているのは、キスが、女の子を目覚めさせる素敵な魔法だっていうことだけだよ。他の事をしていないなんて書いていないだけ…だって王子様とお姫様が愛し合っているのなら、その後で子供を作ったりするのが普通でしょう?」
「み、身も蓋もないね」
 
「ふふ。でもね、やっぱり書かれていないから存在していない、とは言い切れないと思うよ。もし存在していないように見えるんだとしたら、それはきっと、物語に存在していないんじゃなくて、読んでいる人の中に存在していないだけ…」
「…」
子供の頃に胸を躍らせて読んだピーターパンの物語を、雪さんは悲しい物語だと表した。
それはきっと、ピーターパンを取り巻く世界が悲しいものだったから、ではなく…読み手である彼女が悲しかったから…
 
けれども、ピーターパンを冒険活劇だと思って何がいけないだろう?
そうして、子供の頃の自分が物語から受け取った夢や希望は、確かにあの日の僕の糧になったんだ。
ピーターパンを悲しい物語だと言われてそれを否定する意味がどこにあるだろう?
彼女は悲しかった、そして僕は楽しかった…
ああ、けれども僕は、そんな彼女のことが大好きだ、理解してあげたい。
 
それじゃあ、いけないのかな?
何か、間違っているのかな?
 
自分を認め、他を排除したところで、その先に待っているのは、一つところに閉塞した世界だけなのに。
閉塞する世界に待っているのは、ただ、破滅だけなのに。
 
奇妙な感慨に囚われながら、彼女と視線を重ね合う。
彼女は、僕の全てを見透かしたように笑い、また唇を重ね合わせてきた。
舌を絡めない、静かな、王子様とお姫様のキス。
 
物足りないな、と思った。
僕はもっともっと、彼女を愛しているのに。
何かで表現しなきゃ我慢ができないくらいに激しく狂おしく。
だから僕は、彼女の唇をこじ開け、ほとんど無理矢理に舌をねじ込んだ。
口の中のありとあらゆる場所に這い回らせ、腰も動かした。
 
「ぁん…ど…したの?」
「僕のお姫様は、さ、すごくえっちなことが好きだから…これくらいしなくちゃ、いけないと思って」
「好きだから…っぃ…なるんだよ?」
「わかってるから、してるんだ。だから、ねえ、もっとキスしよう?」
ちゅっ――確認するかわりに、キスをした。
 
キスって、素敵だ。
目の前に彼女しか映らなくなって、吐き出す息も、つぶやきひとつすら逃さず捉えて、世界でふたりきりになれるから。
眠り姫を目覚めさせたキスの魔法は、別世界への扉を開く魔法だったのかもしれない。
 
大好きな人と二人きりの、夢の世界に旅立つための魔法…それがキス。
ああ、だから彼女は、あの物語は眠り姫というのかもしれない。
だってあの物語は、お姫様が王子様とキスをするためだけに作られた物語じゃないか。
キスという、夢の世界へ旅立つための魔法が物語の目的ならば、それはつまり姫が夢を見るための物語だということだ。
だから、彼女は眠りの姫…
 
「はは…」
「っん…ど、どうした…の」
「キス、僕も好きだよ」
「ぁ…んむ」
哲学みたいなことを考えてしまったのは彼女の影響だろうか。
 
唇を重ね合わせる。
離さないようにしながら、僕は激しく腰を振った。
この世で二人きりの、僕と彼女。
 
恋をし、愛し合うことが、相手を自分だけのものにしたいと思うことならば…
キスをし、二人きりの世界を作り上げ、彼女の中に挿入し、子供を成す、それらはすべて、愛し合う、という行為のひとつの形に過ぎないじゃないか。
 
だからいいんだ。
汚くても、誰かを傷つけても、僕たちの物語は、これで。
描かれていない箇所があるのかもしれない。
たとえば、言語化されていない僕の気持ち。
なぜ僕が、こんなにも彼女を愛したのかということ。
 
なぜ、彼女が僕をこんなにも愛してくれているのか。
 
だけど、やっぱり今の僕は、他の誰でもない彼女を独り占めにすることを望んでいて…
だから、今はそれでいい気がした。
眠り姫の夢に出てくる王子様が、どんな人間か。
そんなこと、描かれちゃいない。
ただ、その人は王子様で、彼女はお姫様で――結ばれるために生まれたから、結ばれるんだ。
 
僕が王子様で、那波がお姫様で――
ふたりが『いつの間にか』惹かれ合っていたように。
だけどそれは、やっぱり不思議でも何でもなくて、『いつかの僕』が『この彼女』とすることを望んだ結果なんだ。
それが、今の僕にはわからない。思い出せないだけ。
けれども、今っていう瞬間が存在しているっていうことは、それ以外のいつかが存在していて、今でもいつかでも、それが僕、瀬能透矢であることに変わりはないから。
だから、これは必然なんだ。
 
「っ…ななみ…」
狂ったように腰を突き出し、彼女の舌にむさぼりつく。
「っきぁ…っ…透矢く…ぅ、っはぁ…おかしく…なっちゃう」
涙目に訴える彼女にも、僕は力を抜くことはしなかった。
彼女を愛しているから、彼女が僕を愛しているから。
 
「…っん…」
「っぁ…もう…っ…もぉ…」
我慢しきれなかったものが飛び出し、彼女の奥深く、恐らくは子宮にまでぶちまけられる。
それでも構わず腰を振った。
我慢なんてすることはない。
僕らは、愛し合うことができる。
二人一緒に、気持ち良くなることができる。
 
だって、僕らの物語は、そのために作られた物語だ。
 
「那波…っ…くよ?」
「うん…っ…私、も…」
ほら、こんなにも僕らは愛し合っているんだ。
口の中で彼女がほほえんだ――ような気がして、
僕は最期とばかりに、引き絞った腰を彼女に叩きつけるようにして撃ち出した。