注記のために昔の日記から転載

■2003/09/07 (日) AIR
(前略)
泣き言は置いといて、ここ1ヶ月あまりナイショの掲示板(弊サイトリンクページから辿っていけば見つかります)その他でKanonの話をやってて痛感したのは、ノベルエロゲーを語りたがる人たち(僕も含む)における「痕」信仰の根強さ(「痕」より後に根本的に新しいアイディアは発明されていない、現在の全てのノベルエロゲーのシステムの原理はLeaf3部作のバリエーションである)です。
これはゆえのないことではなく、物語という視点においてノベル形式を考慮していくならばLeaf3部作の3つ(正確には2つ半)のバリエーションは分類方式として使えそうなほどすっきりしているように見えます。とりわけ「痕」式の読解(互いに無関係なストーリーが全体で世界観を形成する)は分岐ノベルの作品全体を捉えて語るのにとても便利です。
しかし「痕」では1シナリオの短さや豊富なヒントメッセージ、分岐制限の順次解放などを駆使してシステム全体として慎重にゲーム的快楽をトレースしたことでひとつの作品として成立させていますが、そうした全体を連結させるシステムの構造は、分岐ノベルごとに異なります。そのシステムを無視して各シナリオ(分岐)間の連絡性を語ることは避けるべきでしょう。

■2003/09/10 (水) 痕

ビジュアルノベルが普通の小説と何が違うのかと問うと、多くはほぼ自動的に「分岐」という回答が出てきます。
音楽とか効果音とかグラフィックとかもあるし、皆その重要性は意識してるんですけど、まあ、小説と比較するとなるとシナリオの明確な違いについて語ってしまいがちです。
そして、ゲームメディアから導入された技術のうち、この分岐についてのみ注目して語られがちだったりするのが、僕が「痕」信仰と呼ぶ、ネットで(実際のエロゲ作品の製作でも)主流のノベル形式のエロゲの評価です。
例えば「プレイヤーの入力と、それに対するリアクション」について、その効果(面白さ、実用性)はよく知られていますが、それがシステムとして小説にはないメディアの重要な特徴であるとして、分岐と並ぶ(というか分岐を原理的に支配するのだが)重要性をもって語られることは、レビューサイトとか眺めててもあまりない。(TINAMIXと新現実ササキバラ原稿と、メジャーどころだと、あとなんだっけ)
「痕」って作品がそれだけ衝撃的だったのでしょうけど、ではなぜ、ビジュアルノベルにおける分岐の形式は小説と異なると言えるのか。例えば柏木一族にまつわるエピソードを多面的に語った連作短編の形式では得られない効果は何か。悲劇的な結末とハッピーエンドとを順番に配置した意味は何か。感情移入しやすいと言うが、その要因は何か。
Prismaticallizationファンには馴染みのことではありますが、ゲームにおいて時間は体感的なもので、それゆえに強力な説得力を持ちます。
そこでプレイヤーの入力行為とそれに対するゲームでの反応、そこから得られる効果のうち、「時間を共有している感覚」を分岐を単なるシナリオの並列と隔てている原理として取り出せないか。
元長柾木氏がカラフルピュアガールで連載しているコラムの1回目ではフィクションの内部における時間の流れ方について取り上げていました。あるいは沈没したアシュタサポテやエロゲに限らずゲーム評論を探せばそうした記述は見られると思いますが、ゲームにおいて、入力に対する反応がもたらすリアルタイム性、画面内で流れる時制が現在進行形の時制であると思わせる強力な錯覚効果は、
それ自体が他メディアにない大きな武器であり、その現実世界との連続性が作中への共感を容易にします。分岐はその応用のひとつであると言えるでしょう。
■2003/09/11 (木) 痕 その2

巻き戻し。
痕においては、ヒントメッセージによって全シナリオを読むことが半ば強制的に勧誘(ヒロインからお願い)されます。
また選択肢制限が徐々に解放されていくことで、読む順序がほぼ決められています。
たとえばKanonにおいては一部例外を除いて選択制限はありませんし、全シナリオプレイを強要されることもありません。これは逆に、シナリオ間のつながりの薄さを保障するものでもあります。バリエーションは豊富ですが基本は同じような話で、一人だけクリアして終わらせても作品の解釈には決定的な変化を及ぼしません。クリアの順序も決まっていないし、あゆシナリオだけが真のエンディングとして差別化されているわけでもない。
一方、痕では読む順序がほぼ決められている。その意味ではマルチシナリオをつなぎ合わせた実質的な一本道シナリオです。「腐り姫」や「Realize Me」に近い。
にもかかわらず一本道として読まれないのは、語られる時間が重なるため、そして全てのエンディングが等価に扱われるためです。
痕は物語を重ねながらも全体としては物語の形態をとりません。
「Realize Me」のように最後に締めくくりのシナリオが登場すれば、全体は物語の形式をとっていると言えたでしょう。
しかし物語は積み重ねられることで、同じ時間(だから、どの物語も分岐から生じる必要がある)に覆いかぶさっていく新しい物語によって解体され、それまでの独立した物語としてではなく、プレイヤーのメタ的な経験として機能します。
経験を積み重ねて失敗を成功に変える。経験によって視野が広まり新しい局面が展開する。謎が解き明かされ、設定された世界観の全容が次第に明らかになっていく。RPGのように。(私が「ゲーム的快楽をトレースする」と書いたのはこれです)
そしてなお、新しく読める物語と対置するように個々の物語がそこに維持されていることで、最終的に広がりきった全体において「一つの物語とそれを支える広がり」として互いは互いを修飾しあい、「お互いが情報とテーマを補い合うマルチシナリオ形式のビジュアルノベル」が最後に姿を現します。
すなわち「痕」は実はそれ自体はほとんど一本道の作品であって、クリアしたときはじめて「全体で大きな物語を語る分岐ノベルという表現方式」という大いなる幻想が出現した(ように見えた)と言えるのではないでしょうか。